♪♪ ビートルズ ♪♪ | 土谷多恵子のRADIO DAYS

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業界歴ン十年の(笑)土谷多恵子が、目にし耳にした放送裏話や、古今東西洋邦問わず、音楽についてのウンチクをご披露します。ついでにABC「ドキハキ」のことも・・・・

ラブラブビートルズが来日したのは、今から40年前の今日でした。

1966年の6月30日から7月2日まで。 

東京・武道館公演のみの5回。


当時私は高1でした。

我が高校からも何人かの人たちが、親を説き伏せて、見に行ったと聞いています。

私はというと、そんなこと夢にも思わないおとなしい女子高生だったと思いますが、東京へ行きたいと言っても、我が家はそんなこと許してくれるはずもありませんでした。、


彼らは20世紀最大のアーティストであることは今では誰しも認めるところですが、

当時、熱狂する世界中の若者たちに対して、世界中の大人たちにとっては、彼らは不良だったからです。


アメリカですらそういう反応だったんですから・・・・・


そして、団塊世代を中心に、ビートルズ世代と言われる人たちも、今では自慢のようにビートルズを語りますが、日本国中でどれだけの人たちが熱狂したかと言えば、その頃は、今の若者が考えているほどには知られていなかったのでは・・・・??と思います。

それは日本国中熱狂の100時間のようなことはありませんでした。

ある意味限られた人たちの熱狂だったと思います。


ビートルズ世代と言われる日本の我々世代のほとんどの人は、舟木一夫を代表とする青春歌謡に一生懸命な時代だったと思います。


ビートルズが去って、その前座を務めたグループサウンドブームが到来!ということになっていくんですよね。そして、気が付けば、青春歌謡は下火に・・・・・・・


私は、ビートルズは日本に入ってきたときから、レコードで知っていました。

今、テニスはウィンブルドンが行われていますが、そこでがんばってる森上亜希子ちゃん(昨日シングルスでは杉山愛に負けたみたいですが、ダブルスがまだありますので応援してくださいね。大阪の子です)

のお母さんのマーちゃんの嵯峨野の家でいつも聞いていました。

マーちゃんはポールの熱狂的ファンで、「ポールラブラブポールラブラブ」と・・・・・・

私は、ジョンが好きでした。



でも、マーちゃんほど熱狂しなかったかな??

当時、京都ではそろそろフォークル、高石さんや二郎さんなどが登場してきたりしていましたので、

そっちの方に気をとられたのと、大学目前で、余裕もなかったような気がします。


ビートルズってすごい!と思い出したのは、大学に入ってからです。

アイドルとしての登場から、来日、しかし彼らは単なるアイドルではなく、アーティストとして彼らがはっきり見えてから、私は熱狂しました。


自分たちのやりたいことを好きなようにやったらいいんだということを彼らは教えてくれました。


歌いたい歌を歌いたいように歌う


かれらが教えてくれたことです。


                      音譜 多恵子 音譜