ある同胞のお話 成人式で帰省、震災前夜「引き留めた」  | かっちんブログ 「朝鮮学校情報・在日同胞情報・在日サッカー速報情報など発信」

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(引用元 神戸新聞より)


成人式で帰省、震災前夜「引き留めた」 自責の念と無念、祖父から受け継ぐ覚悟 亡き伯父の遺志を胸に




↑引用元 神戸新聞より


 阪神・淡路大震災で伯父を亡くした神戸朝鮮高級学校3年、崔雄貴さん(18)=神戸市長田区=は、あの日を直接知らない。語り部の祖父にその無念さを、父に思い出を聞いて育った。「体験していないけど、記憶を受け継いでいきたい」。春には伯父が通っていた朝鮮大学校(東京)に進学し、神戸で会社の経営者になる夢を描く。


【写真】震災の経験継承を決意する雄貴さん



 神戸市須磨区千歳町に住む祖父敏夫さん(81)の自宅。敏夫さんと、父秀英さん(44)に囲まれて、雄貴さんは少し照れくさそうな表情を見せた。手には、20歳の若さでこの世を去った伯父・秀光さんの遺影。もうすぐその年齢に近づく。


 伯父が震災で犠牲になったことを理解したのは、西神戸朝鮮初級学校5年生の冬だった。震災の学習で、語り部団体で活動する敏夫さんが学校に招かれた。そこで「あの日」のことを初めて聞いた。


 秀光さんは当時、朝鮮大学校2年。東京から、成人式のために神戸市須磨区の実家に帰省していた。1月16日に東京に戻る予定だったが、風邪気味の秀光さんを敏夫さんが引き留めた。


 翌朝。激震で家屋は倒壊した。敏夫さんらが、1階で寝ていた秀光さんを掘り出したときには、もう手遅れ。「蛇口をひねった水道みたいに」、敏夫さんの目から涙がこぼれ落ちた。その隣で、秀光さんの弟・秀英さんも泣き崩れた。


 「あのとき、何が起きたのか。ハラボジ(祖父)から具体的に聞いて衝撃を受けた。体験していないけど悲しくて。この震災がどういうものだったかを感じた」。雄貴さんが振り返る。


 父から教わったのは、伯父の思い出の数々だ。「3人兄弟の中で一番賢くて、優秀で。大学校の先生になる夢を持っていた。でも、怒ると一番怖かったって」。そう話す雄貴さんの隣で、秀英さんが懐かしそうに言葉を継ぐ。「負けん気が強くて、やられたらやり返すタイプ。兄貴はけんかも強かったなあ」


 2018年1月17日早朝。雄貴さんは神戸・東遊園地の「慰霊と復興のモニュメント」を訪れた。この日、犠牲者を悼む「追悼の集い」で、遺族代表として敏夫さんがあいさつに臨んだ。「自分が東京に帰るのを引き留めた」という自責の念、「息子の死を無駄にしたくない」と語り部活動に熱意を注いできた思い…。雄貴さんは祖父の後ろに立ち、その心情に触れた。


 千歳公園(神戸市須磨区)での毎年1月17日の追悼行事には、敏夫さんに誘われて2年前から加わる。「体が動く間はやらなあかんが、腰も痛く、長時間立つのがつらくなってきた。手伝ってもらえるとありがたい」。敏夫さんが孫の成長を喜ぶ。今年も早朝から公園で準備を手伝う予定だ。


 今春から朝鮮大学校の経営学部に進学する。「簿記などを勉強して、卒業後は神戸に戻って会社を経営したい」と語る雄貴さん。秀英さんは「東京へ行くと必ず震災について聞かれる。自分の言葉できちんと伝えられるようになってほしい」と期待を込めた。