『魂の漢 李漢宰』特別インタビュー前編~【在日朝鮮人蹴球団に憧れた倉敷のサッカー少年】 | かっちんブログ 「朝鮮学校情報・在日同胞情報・在日サッカー速報情報など発信」

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(引用元:iuda記事より)

 

 

 

【在日朝鮮人蹴球団に憧れた倉敷のサッカー少年】〜『魂の漢 李漢宰』特別インタビュー前編~

 

 

 

 

 

 

↑引用元:iuda記事より

 

 

 

2020年12月25日。FC町田ゼルビアは一人の“漢”の引退を発表した。

 20年間在日コリアンを象徴するフットボーラーとしてキャリアを創り、後輩達の道しるべで在り続けた漢、李 漢宰(リ・ハンジェ)だ。

 

 2001年に、朝鮮高級学校卒業で初めてとなるJクラブストレート入団を果たし、サンフレッチェ広島、北海道コンサドーレ札幌、FC岐阜、FC町田ゼルビアと4クラブを渡り歩き、多くのファン、サポーターに愛されてきた。

 2005年に埼玉スタジアムで行われた『2006 FIFAワールドカップ・アジア予選 日本代表 vs 朝鮮民主主義人民共和国』戦のピッチ上で戦い続ける“李漢宰”の生き様には、在日コリアンの誰もが心から感動し、勇気を貰い、希望を抱いた。

 

 李漢宰氏が残した功績は計り知れない。次世代のサッカー少年達は、李漢宰氏のキャリアから何を学び、何を受け継がなくてはいけないのだろうか。今回のインタビューで語ってくれた『魂』と『アイデンティティ』を余すこと無く伝えたい。

 前編では、在日朝鮮人蹴球団に憧れた李漢宰氏の“少年時代”に迫るーー。

 

 

幻の日本一「在日朝鮮人蹴球団」に憧れた少年時代

ーー20年間の現役生活お疲れ様でした。今回は学生時代から今までのサッカー人生を振り返ってお話聞かせてください。まずは、サッカーをやっていた学生時代にプロを意識し始めたキッカケなどはありましたか? 

 

:「ありがとうございます。キッカケは、在日朝鮮人蹴球団(以下、蹴球団)の存在が大きいです。小学校高学年の時に当時の蹴球団が全国遠征をしていて観に行ったのですが、そこでは、金鐘成監督(キン・ジョンソン/元鹿児島ユナイテッドFC監督)や、梁圭史さん(リャン・キュサ/現ファジアーノ岡山トップチームコーチ)などがプレーしていたんです。先輩達は朝鮮民主主義人民共和国の国家代表としても活躍されていて、自分も蹴球団に入り代表になるんだと決意したのを鮮明に覚えています」

 

ーー1993年にJリーグが開幕すると同時に、申在範氏(シン・チェボン/当時ジェフユナイテッド市原に所属)が在日コリアン初のJリーガーになられました。目指していた蹴球団とは別の選択肢も広がった中、当時の心境に変化はあったのでしょうか?

 

:「夢を曲げることはありませんでした。ただ、僕が最初に憧れた選手はまさに、申在範選手でした。小学5,6年の時にJリーグが開幕したんですが、僕が通っていた倉敷朝鮮初中級学校の先生である李雄輝先生(リ・ウンフィ)と申在範選手が同級生だったのもあり、『こういう選手がいるよ』と教えてくださったんです。それで、一気に虜になりました。当時はジェフの試合もテレビで観戦出来たので、どんどん好きになって、千葉まで会いに行ったほどです。岡山の倉敷という田舎で、ジェフの真っ黄色のウェアと短パンとストッキングを身に纏っていましたね。(笑)もちろん、三浦知良選手やラモス瑠偉選手などにも憧れましたが、僕のなかでの一番のアイドルは申在範選手でした」

   

ーー申在範選手に憧れた事によってJリーガーになろうとは思わなかったんですか?

 

:「はい、在日朝鮮人蹴球団で活躍し、国家代表になるんだという夢がブレることは無かったです。少し熱すぎた一面がありましたね」

 

「在日朝鮮人蹴球団」とは、在日朝鮮人で構成されたサッカークラブであり、かつては日本の強豪クラブチームと親善試合などを重ね『幻の日本一』とも言われ「チュックダン」(在日朝鮮人蹴球団の通称)の名を全国に轟かせた。在日コリアンのサッカー少年が憧れたサッカーチームだ。

 

 

 

 

 

 

↑続きはこちら ↑引用元:iuda記事より

 

 

 

 

※在範とリュンジ監督の名前も出てますねー

 

 

 

また続きはアップします。