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【東京朝高】アーカイブ写真①-草創期と東京朝鮮中学校の開校
当時、朝連板橋支部の尹徳昆委員長は、朝連初等学院の運営に人一倍情熱を持ち、国家と民族が繁栄するには、教育をしっかりしなければならないとの持論を持っていました。彼は校舎として使える建物が無いか探しまわり、板橋区役所に「校舎を斡旋してほしい」と何度も要請を繰り返しました。
同胞の生活の問題や帰国問題など、区役所に足しげく訪ねていたので、区長や助役など区役所の職員たちと顔なじみになっていました。
東京朝鮮中学1期生
教室での勉強風景
そんなある日、区役所の職員から、以前日本軍の兵器廠として使われていた土地があるという話を聞きました。それを聞くや否や尹委員長は、区長との度重なる交渉を行ないます。
その土地は大蔵省の管轄下にありましたが、日本の敗戦後に東京都に移管され、東京都が管理を所在地の板橋区に任せた状態でした。板橋区は土地の使用許諾についても委任を受けていました。そして交渉の結果、朝鮮中学校の敷地に使うことができるようになったのです。
板橋区長は関東財務局に旧兵器廠跡を朝鮮中学の敷地として使用できるように要請します。関東財務局王子出張所は尹委員長が提出した「雑種財産一時使用認可申請」を1946年9月20日受理し「建物使用許可」を承認します。こういう先人たちの熱い努力があって今日の学校があるのです。
東京中高情報 132 (【학교창립기념행사(学校創立記念行事)】)
↑先日こちらブログでもアップしましたが
10月5日で東京中高も創立74周年を迎えました。
歴史を振り返ると大先輩方の熱い努力があって
今の朝鮮学校があるのです。
我が母校東京朝高
100周年に向けて
応援してます。