「9・9節」中央慶祝大会の様子はこちら(300人合唱団公演他〉 | かっちんブログ 「朝鮮学校情報・在日同胞情報・在日サッカー速報情報など発信」

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金 日宇氏のフェイスブックより)

 

 

 

「9・9節」中央慶祝大会でうたう㊤
 

 

 

【9月8日・土曜日】
 東京同胞三〇〇人合唱団でうたうことになった。舞台に上がるのは、朝大卒業以来初めて。うたうことになっている「共和国宣布の歌」は、朝大入学した年に行われた、大音楽舞踊叙事詩以来だ。この何日間、ユーチューブで何度も聞き口ずさんでみたが、歌詞が一節と二節だとか、三節だとか、四節だとか言われ、覚えきれていない。合同練習もなく、ぶっつけ本番だ。朝から落ち着かない。

 公演は五時過ぎ、その前に中央大会だ。一二時半に会場の朝鮮文化会館のロビーに着いた。ほとんどが専従の活動家と女性同盟員だ。白髪の同年代の同胞の姿はない、場違いだったかなと思っているとことに、東京朝高の同級生の金トンムと支部の呂顧問の顔を見て、ほっとする。

 舞台では、金剛山劇団や東京朝鮮歌舞団など、プロの練習が延々と続いていた。冷房が入っていない会場は蒸し暑い。窓はなく、それでもいくつかのドアから入ってくる生温かい風が救いだ。

 しばらくすると、「東京合唱団舞台へ…定位置に」とのアナウンスだ。支部別に立ち位置が決まっているようだが、聞いていない。支部顧問に招かれて舞台上に上る。三〇〇人に絞ったと言っていたが…。「遅れてくる人の場所は空けて…」。
 それでもすかすかだ。

 定位置が決まり、楽団との音合わせ。何回かうたって昼食。まさか、学生時代から五〇年後、舞台の上でうたう、うたえるとは…。大舞踊叙事詩の感慨がよみがえる。「모시고」が「받들고」に歌詞が変わったようだ。

 三時過ぎから中体育館で練習。人数は少し増えたようだ。

 

 

 

 


 「백두산 천지에서…」
 指揮者はうたいだしからだめだしだ。
 「ここは…」
 二小節ほどうたうと、「ここは…」とまた…、そして「最初とは違って…二番目のリフレーンは…」。
 途中、「表情が違うだけで、歌が変わります」。指揮者は人を乗せるのが上手なようだ。待ったなしの開演、呼吸がどうだとか、声がどうだとか言ってもラチが明かない。ところが彼のアドバイスで、歌声が変わっていった。なんとなく楽しくなった。

 「本番は、管弦楽団が音合わせをして…ころあいの良いころ私が出てきます。一番いい場面ですね…」
 指揮者のそんな軽話に笑いが…。その頃には、立派に歌えるのではないかという確信がわいてきた。

 二〇分足らずの練習で、こんなにも変わるものだと、自分で歌いながら感心した。

 以下㊦につづく

*加筆して9月下旬に刊行する『朝鮮学校のある風景』51号に載せます。

 

 

 

 

金 日宇氏のフェイスブックより)

 

 

 

 

「9・9節」中央慶祝大会でうたう㊦【9月8日・土曜日】
 ㊤からつづく

 大会参加後、大会参加者が乾杯、弁当を食べている間、女性たちはチマチョゴリに着替えて、全員中体育室で待機。
 人数が増えている。息苦しい。一人風通しのいいところで出を待つ。

 いよいよ本番だ。
 「まずナルゲから…先に行って…」との声が伝達されるが、「ナルゲ?」の意味が分からない。中体育館から出ている間に、いくつかの注意事項が伝えられたようだ。
 支部顧問を探す。隣にいれば舞台まで連れて行ってくれるはずだ。

 舞台の緞帳は上がったままだ。支部顧問の後について舞台の上段に上る。「ナルゲ」とは、舞台の隣に設けられた合唱段でうたうグループのようだ。「ナルゲ、翼」の意味が分かった。
 予備ベルが鳴ると、客席が詰まっていく。舞台から客席を見渡す機会などない。
 これはベストポジションだと思い、スマホを向けて何枚か写真を撮る。

 

 

 

 

 

 

 そして開演。厳かな「愛国歌」の演奏が終わると、「백두산 천지에서 제주도 끝까지…」。指揮者の顔を見ると、中体育館での練習以上の声を張り上げていた。指揮者が言うように、高らかに歌い上げたと思う。一節が終わると大きな拍手だ。予想外だった。指揮者が絞り出してくれた、三〇〇人の「思い」が伝わったのだろう。
 舞台を降りる合唱団の顔は、皆晴れ晴れとしていた。久しぶりの神経の高ぶりを覚えた。

 実はこの日も大きな失敗をした。汗をかくと思って、舞台に上がる前にワイシャツに着替えたのだが、半袖のワイシャツを持ってきてしまったのだ。どうしても舞台に立ちたかった。両隣の陰に隠れれば半袖でも、それでも練習のときは、隣の人とずいぶん間が…。ひやひやしながら舞台に上がると、前列の人で肘から下は隠れる。それに隙間もなくびっしり並んだ。合唱団三〇〇人、間違いない。

 会場に戻ると、金剛山歌劇団の長老、洪さんの「千里馬先駆者の歌」。両手を大きく広げて…大きな拍手が送られていた。
 神奈川ハッキョの少年団の「バスに乗り電車に乗って」の合唱に、会場の皆が「ウリハッキョ チキジャ(朝鮮学校を守りぬく)」との強い思いにかられたのでは。歌劇団と東京歌舞団の重唱、女性同盟のコーラスクラブの歌も良かった。この時代だからこそ、最高指導者と祖国を「仰ぐ」、ストレートの歌詞が胸に響いた。

 公演が終わり、帰途、朝高と朝大の同級生に呼び止められた。
 「うたったのか…」、「舞台の上にいたのでびっくりしたよ…」、「お前らしいよ…」。
 一杯飲みに行こうと誘われた。確かにのどが渇いていた。が、シャツだけではなくズボンも重い。六時間たっぷり汗をかいたようだ。まずは着替えたかった。

 夜、フェイスブックを見ると、この日の指揮者の金成哲さんとは「友達」だった。
「大会で出た弁当を家で広げて一杯。今日失った水分補給です(笑)」とのアップに「一〇リッターくらい飲んでも足りないですね」とのコメントが寄せられていた。

 七〇回目の「9・9節」は、暑く、熱かった一日として記憶に刻まれた。(了)

*加筆して9月下旬に刊行する『朝鮮学校のある風景』51号に載せます。

 

 

 

 

 

 

 

昨日は長男チソンも参加しました。

 

 

 

参加した関係者の皆様お疲れさまでした。