神社でお願いごと | そらまめのMy Favorite Things

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心理セラピスト守杉真美のお気に入りの日々をつづります
ミュージカル「サウンド・オブ・ミュージック」の一曲
雷を怖がる子供達の気持ちを救う歌です
私の自己世界に起きる、いい事も悪い事も、
すべて「私のお気に入り」なのです

こんにちは


東京⇔多摩地区の心理セラピスト 守杉真美です


夏から冬にかけて、お伺いしてお参りした神社です

武田神社@山梨県甲府


堀越神社@大阪天王寺

金櫻神社@山梨県甲府




寒川神社@神奈川県






出雲大社@ハワイ



私の実家(原家族)は商売をしていたのもあってか

家には神棚もあり神社への参拝は欠かしたことがありませんでした

ことがあっても無くても神社へ伺うことが習慣のように馴染んでます


長年、自分のことよりも家族の幸せを願ってきた私でしたが

自分だけのお願いごとがいざとなると思い浮かばなくて

今年の前半はとまどっていました

この夏ぐらいからですね

「今の私はこうなりたくて、こうしています。神様ぜひ手伝って下さい」

こんな風に具体的に変化していて自分でもびっくりしています
この後は、私とツレと深く所縁のある神社の大祓式に向かおうと思ってます

願意がハッキリとしてきているので、しっかりお礼も出来そうな一年になりました


神社で願意を書き記す絵馬



はい!


あなたなら、ここに何を書きますか?

どんなことを今まで書くことが多かったですか?






改めてここに「お願いごと」を思い浮かべよう


考えようとすると出て来ないという人もいるでしょう




私の場合は

病気がちな両親だったので

喧嘩ばかりでゴタゴタしていた両親だったので

商売の乱高下で落ち着かない不安定な家庭だったので


「○○の病気が治りますように」


「家族が健康でありますように」


「家族が幸せでありますように」


「家族」の幸せを願う言葉が多かったように記憶してます


神社の絵馬奉納の願意も圧倒的に、これらが多いのね






実際のところ


「家族が幸せ」ならば「私も幸せに」なれる


自分の居場所が穏やかで平和で安心していられるなら


私が幸せになれる・・・かも・・・とね


条件をつけて自分の幸不幸を決めてしまっている



家族、親が皆が幸せならば私も幸せ


家族、親が安心してくれていれば、私も安心だね


そりゃ家族や近しい人とは「幸せ」で繋がりたいものね



だがしかし、本当の本当のお願いの根っこは


「私が幸せになりたい」



「私は安心したい」


だよね!!!




ぜひ、ぜひ新しい年に向けて


「私だけの幸せ」


「私だけの安心」


そんなことを考えて感じてみて下さい


言語化できなくても大丈夫


景色や色、場面、状況・・・・


その時の感覚でも十分ですよ



自分だけ幸せを願った時、どんな気分になりますか?


かつての私の様にぼやけて、うまく出てこないですか?




だとしたら自分の願い


望んだことが選べないで


今迄、生きてきているかもしれない

  

いつからか、どうせ選べないなら望んでも無駄って

 

自分だけのお願いや望みを諦めてきたかもしれない

 

変わりに誰かのためのお願いをするようになったのかもしれない

 



「たとえ私が犠牲になっても、○○(家族)が幸せでありますように」


そんな人生を続けてませんか?



「私は幸せな人生を生きる」 



まずは、そう決めてみましょう


そうして、もし自分の周りにそう決断した人が集まり


日々、暮らせたらどんなに楽しいことでしょう



 

自分の幸せが人の幸不幸に左右される人生を


一生続けていきますか?






「私は幸せな人生を生きます」

 

そして

 

「家族も幸せでありますように」

 

という願意が増えていったらいいなぁと


私は思うのです❤

 




今年一年ありがとうございました

このブログを読んでいただいた皆さまにも

穏やかで清々しい新年をお迎えられますよう

お祈り申し上げます