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その14 JBL4344の2WAYマルチに挑む

みなさま こんにちは 5月連休は伊豆で遊び過ぎて、お小遣いが足りない、もはや伊豆日記の人とは言えないおいちゃんです(笑)

さて、JBLのスタジオモニターを保有しているなら、一度は挑戦してみたい、2WAYマルチ駆動。
読者のみなさんの中には、「2WAYマルチ」って何???? と思われる方もいらっしゃるでしょう。 JBL4344のスピーカを裏から見ますと、以下の写真のように端子が二組ついています。


通常は、下側の端子にアンプの出力を繋ぎます。 JBL4344の構成について説明しますと、4つのユニットから成り立っていて、これをネットワークという回路で駆動しています(下が4ユニットの写真です)


良く見かけるスピーカのタイプが二種類、これがウーファーとミッドレンジのユニットです。2421Bが中高音のドラーバでその上が音を増幅するラッパですね。2405が最高音のユニットで、これに耳を近づけてもシャリシャリという小さな音しかしません。
これらに同じ入力を入れたら・・・・特に最高音のユニットに低音を入れたら、あっという間に壊れてしまいます。そして、低音のユニットに高音を入れても反応しないので無駄になってしまう。従って、ネットワークという回路で、もともとの音楽を、それぞれの4ユニットの周波数帯域(そのユニットが受け持つ最適な音の高さ・低さという感じかな?)に合わせた音の高さ加減に分割して入れてあげるわけですね。
ネットワーク回路と言っても、高校の物理で習った人ならお分かりのように、抵抗とコイルなどで出来ている単純なもので出来ています。

ネットワークは良く設計されたスピーカでは、下手にいじるよりよっぽどいい音でなりますが、やはり問題は有ります。それは、結局四個のユニットに同時に、入力することになるので

1)ウーファーの振動で発生する逆起電力が入力ラインに逆流して、他のユニットの動作に影響する
2)ネットワークはフィルターなので、位相が変化する。
  位相が変化する原因は、電気回路を少し齧ったひとでないと分からないので説明は割愛しますが、位相というのはスピーカの+とーみたいなものです。試しに逆に繋いでみるといいのですが、左右のスピーカの+-を、どちらかは正相(指定通り) 反対側は逆相(+-逆)につないでモノラルで聞いてみると、正相のほうがちゃんと聞こえるはずです(ただしわずかな差)それは、逆相だと左右のスピーカから出る音が打ち消し合うからですね。。。。。。
ただし、僅かな差になるのは、スピーカから出た直後は互いに逆相でも部屋の反射によって、人が聴くまでには完全な逆相にはならないからです。
もっというと、正相で出していても部屋の反射によっては左右が打ち消し合う可能性もあるわけで、しかも高い音、低い音それぞれ、波の具合が違いますから(さざ波と、大波みたいなもの)これが、部屋もちゃんとしないといい音で聞けないという理由なんですね。

これを、シミュレーションしたものが下の図ですが
下記URLから引用
http://www.audioheritage.org/vbulletin/showthread.php?774-4355-3155-clones/page3



緑が低音ユニット、赤が中高音3ユニットの音で、青が合成した波形になります。人間は合成音を聞いているわけですね・・・。図では、逆相につなぐと合成波形がフラットになると言っています。 赤と緑が交差したときの周波数が、いわゆる 「クロスオーバー周波数」 と言われるもので、4344の場合は290HZと決められています。
巷では、JBLはこれを知っていて、内部でウーファーのみ逆相に配線しているという噂が絶えませんww

さて、ここからが、2WAYマルチになります(あ~~長いww 飽きてきたなぁww)
JBLはウーファーのみ、他の3ユニットと切り離せるようになっています。最初の写真で、4端子あるのはそのためで、写真の下にあるスイッチをEXTに切り替えることで実現します。
しかし、そこに同じように音楽を入れたら・・・・それはダメです。さっきも言いましたように、「ウーファーに高音、高域ユニットに低音をいれるのは良くない」からです。

したがって、もともとの音を、それぞれに分けてあげるユニットが必要で、それが 「チャンネルデバイダー」というユニットです。ネットワークがやっていた機能を外の回路でやってあげようと言うことになりますね。下の写真がそのユニットで、おいちゃんは JBL5234Aというユニットを使いました。写真は、二段重ねですが、下側のユニットです。


繋ぎ方は簡単です。
ステレオ入力をユニットに入れたら、高音用、低音用の出力を2台のステレオメインアンプに繋ぎ、それぞれの出力を、スピーカの高音側、低音側に繋げば出来上がり。

次回は、このチャンネルデバイダ入手の苦労と、使用感、今後についてなど述べてみたいと思います


























その13 JBLのホーンレンズって・・・・

みなさん こんにちは 花粉の時期が杉田石油というのに、まだまだ目が痒くて辛い、伊豆日記(?)の人です。ちなみに目が痒いと言うのは、目玉が痒いと思ってる人も居て、「目玉を取り出して洗いたい」 などという人がいますが、それをやっても痒みはなくなりません(キッパリ) じつは瞼が痒いんです。それも眼の縁が痒いので、目薬が効かないときは、軟膏を瞼に塗ると劇的に効きます。眼科で申し出てくださいね。

さて、真空管アンプに浸りきった生活をしていると思いきや、ここんとこ忙しくて満足に音楽も聞かれず、昨夜も色々あって、疲れているおいちゃんですが、今日は「音響レンズ」なるものについて述べてみたいと思います。

JBLの音響レンズは、その特徴あるフォルムでステイタスシンボルのようになっていますが、、、下の写真が、取り付け状態となります。これは、中高音域のホーンスピーカの特徴である、指向性の鋭い音を拡散させる役目をしています。これが無いと、ホーンの軸の延長ラインから外れると、ホーンの素晴らしい音を聞くことが出来ない・・・・・というのですが。




このホーンレンズを取り外すと、中高音域を受け持つホーンスピーカの開口部が見えます。ホーンとは、早い話、運動会の拡声器を思えば良いわけで、振動ユニット(ドライバーと言いますな)の先にラッパを取り付けたものです。






しかし、この音響レンズについては効果を認める人、害あって利無し!と断ずる人などなど、諸説あって何が正しいのか分かりません。
反対派
× : そもそもあんな薄っぺらい樹脂製のレンズなんて共振してダメに決まってる
× : せっかくの音を拡散という名目で殺してしまっている
賛成派
〇 : JBLが不要なものを着けるはずがない
〇 : 音がまろやかになる
〇 : 音響レンズと一体で設計されてるから外すのはおかしい

おいちゃんは、いままではレンズを着けて聞いていました。それは、中高音のホーン独特の鋭さが耳に付くためで、アッテネータも中高音は一メモリくらい絞って聴いていました。ところが、最近、メインアンプを真空管にして以来、JBLのホーン臭さも取れて、実にふくよかな、奥行きのある音になったので、レベルもあげて使っていたのですが、この際レンズを外したらどうかと思い、実験してみました。

音響レンズといっても、下の写真のようなものです。何か特別のものでは有りません。 このたくさんの羽根のようなもので音を拡散させるわけですね。実際の聞いた感じは、音がマイルドになる感じですから、拡散しているのは事実だと思います。






さて、外してみた結果。おいちゃんの装置においては正解でした。 中高音の少しカサついた、ホーン臭い音は、すでに無くなっていたので、外したことでクリアーな音になり、楽器の一つ一つの音が鮮明に聞こえるようになりました。。。。。と言っても、わずかなもんですよ(笑) でも、オーディオの世界では 劇的に音が変わった!というのでしょうねwww

JBL4344 このスピーカはオリジナルホーンでは無いですが、ケンリックサウンドの細井氏のこだわりのホーンで、クラシック中心のおいちゃんには、非常にマッチしたスピーカと言えます。しかし、色々と試したことに忠実に音が変わってくるという意味では、難しいですが、とても興味深い楽しいスピーカであると言えます。

ではでは





















映画「椿姫」を見て

ブログ友の中に、かなりの頻度で映画のレビューや紹介記事をUPしている方がいらっしゃいます。その方のレビューを見て、レンタルして鑑賞することも多いのですが、古い映画が中心となります。今回は、1936年制作のアメリカ映画 椿姫を見たので、感想を書いてみたいと思います。ただ、おいちゃんとしては、ベルディの歌劇でずっと馴染んできましたので、それとの対比で進めてみます。

まずは敵役の男爵ですが、映画では中年の魅力と嫌みが兼ね備わった実力者として描かれています。彼女の落としたセンスを拾わないシーン・・・・完全に見下した、傲慢さを見せますが、当時の常識と考えれば、ちゃんとした貴族という設定なのかも? お城もすごいし、なにより序盤でピアノを弾くシーン・・・・すごいテクニックです。オペラでは存在感無く扱われていて、もう少しさえない男爵として描かれています。しかし、映画のように傲慢でなく分別ある紳士のようです。 よりを戻した後のパーティのシーンでも、アルフレードに気づいて、「近寄らないように」 といいますが、気遣いを感じさせます。ですが、振られた相手とよりを戻して平気なの? といった感想は持ちました。そういう意味では映画のほうがつじつまが合っています。決定的に違うのは、アルフレードが借金を返すといって札を叩きつけるシーン。映画では、男爵が「やっと、この手の女の扱いをわかったようだね」 というのに腹を立てたアルフレードが決闘を申し込む平手打ちをしますが、オペラでは非道な仕打ちに怒った男爵が、逆にアルフレードの頬を手袋で叩くことになっています。オペラの男爵のほうがずっとやさしい感じです。

そして、アルフレードの父親ですが、映画では息子の将来を考えて説得する役でしかないのですが、オペラではバリトンとして重要な役割を与えられています。要するにこの悲劇をつかさどる役回りなので、最後のシーンにも登場します。オペラでは説得するときに、妹の結婚相手が、彼女の存在を知ったら破談になってしまうと訴えるのです。そんな相手なら結婚しなくて結構・・・と考えるのは現代だからで、昔はとんでもないことだったんでしょう。 そして、切々と、延々とやり取りがあり、最後に彼女が、「私に勇気をください あなたの娘さんと同じように抱いてください」 というシーンがあります。そこでジェルモン(父親)は、ハグするのですが、それが形だけなんですね。しかし、最後に病床の彼女のもとに来たとき、彼は「あなたを私の娘として抱きに来た」 というんです。そして優しく抱き寄せる・・・・その差を演じる俳優並みの演技が必要とされるのが、歌劇におけるジェルモンです。さらに、彼女に札を投げつけた場面に現れ(逆上した息子を追ってきたという設定)、女性にそのような恥ずべき行為をするのは、私の息子ではないと言って非難します。客たちもレディにすることではないと言って、彼女の立場を支えるわけで、映画よりずっと優しい感じがします。

そして、最後の場面ですが、映画では結局社会に受け入れられない立場の彼女が、アルフレードに伝えるのは 「私は、これであなたの心の中に生きることが出来る」という言葉です。 現実世界では果たせなかった夢が死ぬことで叶うと言ってるわけで、救われるとともに悲しさを感じずにはいられません。 これがオペラですと、ジェルモンやアルフレード、親しい人たちに囲まれて、「私は生きたい! 何故か力が湧いて苦しみが消えました」 と言って息絶えます。確かに悲劇ですが、救われた感じがして、映画のような辛さは有りません。

ここで、オペラでも違った解釈をしている演出があります。オペラ映画ではテレサ・シュトラタスが出演している作品ですが、これは前奏曲ですでに病床のビオレッタを写し、一転して華やかな場面から最後までを彼女の回想シーンとして描いています。考えてみると、オペラ椿姫の前奏曲はとても静かで悲しい旋律です。ヴェルディも、同じように考えていたのかもしれません。 シュトラタスのオペラ映画では、親しい人々に囲まれてその中で息を引き取ったと思われた次のシーンで、誰も居ない床の上に倒れて息を引き取っているビオレッタが映し出され、社会に見捨てられた最後としています。一番残酷な解釈ですね。

もう一人、アルフレードを社交界に紹介するガストン子爵、映画では唯一の理解者であり、心優しい青年として描かれています。 どうみてもアルフレードより彼女を大事に思っているとしか見えない。アルフレードは一途に自分のことしか考えてないがために悲劇を招きますが(おいちゃんからすると、かなりの責任はアルフレードにあると思う)ガストンは最後まで、控えめに、しかし陰でしっかり支えています。なぜ、彼女が最後には困窮生活になったのか? オペラではその辺が曖昧で、男爵に捨てられたから? でも、ガストンが居るでしょ? って思ってました。ガストンは耳触りのいいことを言うが、結局は手を差し伸べなかった。しかし、映画ではガストンは力になろうとしても、希望を失った彼女がいっさいの支援を拒否しているからということになっていて、ですからガストンは内緒でたすけているわけです。その辺、涙が出そうなくらい感動的なシーンが有りました。オペラではガストンは端役にされていて、これは歌手の構成からいっていたしかたのないことでしょう。非常に影の薄い男になっています。

さて、グレタ・ガルボ、、、素敵な美しい女優です。おいちゃんは高校の時に買い求めた椿姫の解説に載っていたガルボの写真に一目ぼれしてしまって、いつか映画で見てみたいと思ってましたが、想像を絶する美形です。彼女なくして、椿姫の映画化はありえなかったでしょう。ロバート・テイラーも霞むくらいの存在感でした。