映画「椿姫」を見て | おいちゃんのブログ

映画「椿姫」を見て

ブログ友の中に、かなりの頻度で映画のレビューや紹介記事をUPしている方がいらっしゃいます。その方のレビューを見て、レンタルして鑑賞することも多いのですが、古い映画が中心となります。今回は、1936年制作のアメリカ映画 椿姫を見たので、感想を書いてみたいと思います。ただ、おいちゃんとしては、ベルディの歌劇でずっと馴染んできましたので、それとの対比で進めてみます。

まずは敵役の男爵ですが、映画では中年の魅力と嫌みが兼ね備わった実力者として描かれています。彼女の落としたセンスを拾わないシーン・・・・完全に見下した、傲慢さを見せますが、当時の常識と考えれば、ちゃんとした貴族という設定なのかも? お城もすごいし、なにより序盤でピアノを弾くシーン・・・・すごいテクニックです。オペラでは存在感無く扱われていて、もう少しさえない男爵として描かれています。しかし、映画のように傲慢でなく分別ある紳士のようです。 よりを戻した後のパーティのシーンでも、アルフレードに気づいて、「近寄らないように」 といいますが、気遣いを感じさせます。ですが、振られた相手とよりを戻して平気なの? といった感想は持ちました。そういう意味では映画のほうがつじつまが合っています。決定的に違うのは、アルフレードが借金を返すといって札を叩きつけるシーン。映画では、男爵が「やっと、この手の女の扱いをわかったようだね」 というのに腹を立てたアルフレードが決闘を申し込む平手打ちをしますが、オペラでは非道な仕打ちに怒った男爵が、逆にアルフレードの頬を手袋で叩くことになっています。オペラの男爵のほうがずっとやさしい感じです。

そして、アルフレードの父親ですが、映画では息子の将来を考えて説得する役でしかないのですが、オペラではバリトンとして重要な役割を与えられています。要するにこの悲劇をつかさどる役回りなので、最後のシーンにも登場します。オペラでは説得するときに、妹の結婚相手が、彼女の存在を知ったら破談になってしまうと訴えるのです。そんな相手なら結婚しなくて結構・・・と考えるのは現代だからで、昔はとんでもないことだったんでしょう。 そして、切々と、延々とやり取りがあり、最後に彼女が、「私に勇気をください あなたの娘さんと同じように抱いてください」 というシーンがあります。そこでジェルモン(父親)は、ハグするのですが、それが形だけなんですね。しかし、最後に病床の彼女のもとに来たとき、彼は「あなたを私の娘として抱きに来た」 というんです。そして優しく抱き寄せる・・・・その差を演じる俳優並みの演技が必要とされるのが、歌劇におけるジェルモンです。さらに、彼女に札を投げつけた場面に現れ(逆上した息子を追ってきたという設定)、女性にそのような恥ずべき行為をするのは、私の息子ではないと言って非難します。客たちもレディにすることではないと言って、彼女の立場を支えるわけで、映画よりずっと優しい感じがします。

そして、最後の場面ですが、映画では結局社会に受け入れられない立場の彼女が、アルフレードに伝えるのは 「私は、これであなたの心の中に生きることが出来る」という言葉です。 現実世界では果たせなかった夢が死ぬことで叶うと言ってるわけで、救われるとともに悲しさを感じずにはいられません。 これがオペラですと、ジェルモンやアルフレード、親しい人たちに囲まれて、「私は生きたい! 何故か力が湧いて苦しみが消えました」 と言って息絶えます。確かに悲劇ですが、救われた感じがして、映画のような辛さは有りません。

ここで、オペラでも違った解釈をしている演出があります。オペラ映画ではテレサ・シュトラタスが出演している作品ですが、これは前奏曲ですでに病床のビオレッタを写し、一転して華やかな場面から最後までを彼女の回想シーンとして描いています。考えてみると、オペラ椿姫の前奏曲はとても静かで悲しい旋律です。ヴェルディも、同じように考えていたのかもしれません。 シュトラタスのオペラ映画では、親しい人々に囲まれてその中で息を引き取ったと思われた次のシーンで、誰も居ない床の上に倒れて息を引き取っているビオレッタが映し出され、社会に見捨てられた最後としています。一番残酷な解釈ですね。

もう一人、アルフレードを社交界に紹介するガストン子爵、映画では唯一の理解者であり、心優しい青年として描かれています。 どうみてもアルフレードより彼女を大事に思っているとしか見えない。アルフレードは一途に自分のことしか考えてないがために悲劇を招きますが(おいちゃんからすると、かなりの責任はアルフレードにあると思う)ガストンは最後まで、控えめに、しかし陰でしっかり支えています。なぜ、彼女が最後には困窮生活になったのか? オペラではその辺が曖昧で、男爵に捨てられたから? でも、ガストンが居るでしょ? って思ってました。ガストンは耳触りのいいことを言うが、結局は手を差し伸べなかった。しかし、映画ではガストンは力になろうとしても、希望を失った彼女がいっさいの支援を拒否しているからということになっていて、ですからガストンは内緒でたすけているわけです。その辺、涙が出そうなくらい感動的なシーンが有りました。オペラではガストンは端役にされていて、これは歌手の構成からいっていたしかたのないことでしょう。非常に影の薄い男になっています。

さて、グレタ・ガルボ、、、素敵な美しい女優です。おいちゃんは高校の時に買い求めた椿姫の解説に載っていたガルボの写真に一目ぼれしてしまって、いつか映画で見てみたいと思ってましたが、想像を絶する美形です。彼女なくして、椿姫の映画化はありえなかったでしょう。ロバート・テイラーも霞むくらいの存在感でした。