タイトルからして、ぼくには不似合いかもしれません。英語の映像なんてねえ、と思う人も多いだろうなあ。それでもまあ、読んでみてください。指導書に寄り掛からない子どもたちと教材に向き合うときの教師の矜持みたいなものだと、自分では思います。
アーノルド=ローベルの作品、『お手紙』。原文は『The Letter』。
その英語文のYouTube映像。
アメリカ在住のtomokoさんが送ってくださった。
ぼくが書いた『お手紙』の実践記録データにある、「言いました」という表現についての疑問に、応えるための映像。とてもアリガタイ。(『お手紙』の実践データあります。そこでは、「言いました」という表現について、考えています。)
その実践データの部分とは以下の文章です。
「言いました」の裏側には?
『お手紙』は会話文の多い物語です。
会話文のところでは、「言いました」が19回、「たずねました」が3回使われています。
英語の原文だと「say(said)」と「ask(asked)」でしょうか。
ぼくは音読を重視した読み(「タンテイする」といっています)をするので、「言いました」の裏側の表現行為が気にかかります。
書き出しの部分で見てみます。
<本文より>
がまくんは、げんかんの前にすわっていました。
かえるくんがやって来て、言いました。
「どうしたんだい、がまがえるくん。きみ、かなしそうだね。」
「うん、そうなんだ。」
がまくんが言いました。
「言いました」はとても便利なことばです。どんな思いもそれで束ねられます。
でも、そうだからこそ注意も必要です。
「どうしたんだい、…」と語りかけるかえるくんの行為のもとには、目の前にいるいつもとは違うがまくんを認めたことがあります。そしてその表情を読み取りながら声をかけたのです。
ここでのかえるくんの心情から発したことばこそ「どうしたんだい、…」なのだから、「言いました」はこの会話文のことばに規定されたものです。
ためしに「言いました」を別の表現に変えてみることは、会話文の音読を工夫することにつながるでしょう。
「話しかけました」、「声をかけました」ではまだまだです。「心配そうにいいました」、「やさしく語りかけました」、「どうしたんだろうと聞いてみました」
様々に言い換えてみることが必要です。これは原文を変えることではなく、会話文の音読を豊かにするための学びです。
文字面ではなく、立体的なイメージへ
「うん、そうなんだ」と「言いました」でも、イメージをつなぐ回路としての読み深めが必要です。
この手がかりは本文の中にあります。ことばを手がかりにタンテイします。
「げんかんの前にすわっていました。」
「どうしたんだい」、「かなしそうだね」
子どもたちが目にしているのは「文字面」です。それを立体的で、彩り豊かなイメージとして立ち上げるのは音読であると考えます。かえるくんが見てとったことを踏まえて音読すると、「うん、そうなんだ」は平板に読むわけにはいきません。
子どもたちとの読みの中で、かえるくんはがまくんを次のように見ていることが出されました。
<かなしそうだね>……
・いつもと違うところにすわっている
・しょんぼりしている
・力がない感じ
・元気がない
・心がつらそう etc.
会話文では、その人物に同化した音読が求められます。そのときにタンテイし、つくりあげたイメージが生きてきます。
上の<英語の原文だと「say(said)」と「ask(asked)」でしょうか。>について応えるように英文の音読部分を送ってくださったのです。とてもありがたい。
実際に映像をみて確かめました。みなさんもどうぞ。
Toad was sitting on his front porch.
Frog came along and said,
"What is the matter, Toad?"
"You are looking sad."
"Yes," said Toad.
英語の原文だと「say(said)」と「ask(asked)」
でしたね。全部の映像で確かめました。
この映像の音読では表現豊かに読まれています。やはりね。
上の「文字面」の裏にある表現行為を踏まえての音読が大事だというぼくの主張が、この映像でも確かめられました。
かつて、教室で『お手紙』を読んだとき、参観していたこども(ミナモくん)のお母さん(英語教室の講師をされていました)が、英文の作者本人の読んでいるCDを貸してくださったことを思い出しました。ミナモくんのお母さんにも、題名を読んでもらったら「ざ、れらあ~」と。
子どもたちも、それにあわせて「ざ、れらあ~」と声をだしたなあ。
忘れられないおもしろエピソード。
調子に乗って、『スイミー』の英文のことも次回に取り上げてみよう。