③回目、「言いました」の裏側には?


『お手紙』は会話文の多い物語です。

会話文のところでは、「言いました」が19回、「たずねました」が3回使われています。

英語の原文だと「say(said)」と「ask(asked)」でしょうか。


ぼくは音読を重視した読みをするので、「言いました」の裏側の表現行為が気にかかります。


書き出しの部分で見てみます。


<本文より>



 がまくんは、げんかんの前にすわっていました。

 かえるくんがやって来て、言いました。

「どうしたんだい、がまがえるくん。きみ、かなしそうだね。」

「うん、そうなんだ。」

がまくんが言いました。


さんにゴリラのらぶれたあ


「言いました」はとても便利なことばです。どんな思いもそれで束ねられるからです。

でも、そうだからこそ注意も必要です。

「どうしたんだい、…」と語りかけるかえるくんの行為のもとには、目の前にいるいつもとは違うがまくんを認めたことがあります。そしてその表情を読み取りながら声をかけたのです。

ここでのかえるくんの心情から発したことばこそ「どうしたんだい、…」なのだから、「言いました」はこの会話文に規定されたものです。

ためしに「言いました」を別の表現に変えてみることは、会話文の音読を工夫することにつながるでしょう。


「話しかけました」、「声をかけました」ではまだまだです。「心配そうにいいました」、「やさしく語りかけました」、「どうしたんだろうと聞いてみました」

様々に言い換えてみることが必要です。これは原文を変えることではなく、会話文の音読を豊かにするための学びです。



文字面ではなく、立体的なイメージへ


「うん、そうなんだ」と「言いました」でも、イメージをつなぐ回路としての読み深めが必要です。


この手がかりは本文の中にあります。

   「げんかんの前にすわっていました。」

   「どうしたんだい」、「かなしそうだね」


子どもたちが目にしているのは「文字面」です。それを立体的で、彩り豊かなイメージとして立ち上げるのは音読であると考えます。かえるくんが見てとったことを踏まえて音読すると、「うん、そうなんだ」は平板に読むわけにはいきません。


子どもたちとの読みの中で、かえるくんはがまくんを次のように見ていることが出されました。


<かなしそうだね>……・いつもと違うところにすわっている

                ・しょんぼりしている

                ・力がない感じ

                ・元気がない

                ・心がつらそう  etc.


会話文では、その人物に同化した音読が求められます。そのときにつくりあげたイメージが生きてきます。