今年から「教師の日々」をフントーするジュンヤくんが、「初めての詩の授業」として、川崎洋さんの「とる」をFacebookで記事アップしています。

初々しくて、いいなあ。

そこにかつてのぼくの「とる」の授業のブログ記事を紹介しています。

(これです⇒ https://ameblo.jp/sanni1132/entry-12191995978.html

 

都留での、メロンパンやフランスパンというぼくの授業(知る人ぞ知る謎のことば、むふふ)も使い、1行ずつパフォーマンスしながらのやり取りに、ぼくとしては苦笑です。弟子の芸を見る師匠の気もち?

居酒屋亭三二としては、ジュンヤくんを一番弟子にしよう。

どんどん詩であそぼう。教師のあそび心が、授業を面白くする鍵ですからね。

 

ぼくのこの記録は、まさにライブのノリでした。それをこうやって文字化したもの。授業記録のつまらなさに異議申し立てするような気分があったかな。

ここの自分の記事には書いてはいないけれど、大まかなプランだけで、大半はその場でのやりとりを軸に展開したもの。これこそが「授業はライブだ」という意味です。

だから、その教師の、そのクラスのオリジナルな展開になっていきます。

ジュンヤくんはそのエッセンスを生かそうとして楽しんでいます。

 

       乙女のトキメキ乙女のトキメキ乙女のトキメキ乙女のトキメキ  乙女のトキメキ乙女のトキメキ乙女のトキメキ

 

読み直したら、2ヶ所に文字ミスがありました。それを訂正していたら・・・そのころに書いたブログ記事で未公開のモノに気づきました。なぜ、公開しなかったんだろう。おそらく、もっと調べてからアップしようとしていて、忙しさに紛れて、そのままにしたんでしょう。(そういうことがたびたびあります。)

 

これから、その書き換えの記事をここでアップしておきます。TOSSのその後の急な動きについては、もういいやという気分だけれど。かつては、10種以上の教育雑誌を発行していたのですが、今ではインターネットでのコンテンツを普及するように変わっていて、雑誌は2種だけ(それも教育は1種)になっています。

ますます、「権力」にすり寄っている感があり、どうぞご自由にというのがぼくの感想。(高橋史郎氏の連載などあり、まだ「親学」などの方向に親和性を強めるばかり。

「江戸しぐさ」、「水からの伝言」などのとんでも内容の実践の持ち上げあたりから、それらに嫌気を持ち、TOSSから離れた人も多くなったようだし。けれど、「黄金の3日間」言説などは、いまでも、現場に悪影響を与え続けています。その亜流の実践は現場を覆います。

 

そういう意味で、いま、1年10か月前の記事アップも意味があるかもね。

 

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(2016・8・19の未公開記事より)

このちらしは2016年1月(9日・10日)のTOSS熱海合宿で発行されたもの。

文科省や自民党からのこうしたメッセージは少し前からTOSSへ寄せられているようです。


 

とっくに“イッチャッテル”んだよね、この団体。「大躍進」ってなんだろうねえ。

一民間の教育に関わる団体に対し、時の総理大臣や文科大臣、副大臣などが率先して応援メッセージを寄せるなんて、信じられない。

 

教育に関わる研究・運動団体であるなら、ときの政治権力とは一線を画しておかねばならないと、ぼくは考えます。歴史的にみるとそれは重要なことです。

 

教育活動は自主的であるべきです。それなのに、「お上」の承認を自ら誇るようでどうするのだろう。

政治信条は自由だし、それはどうでもいい個人の問題だけれど、TOSSのように向山氏を「教組」にしてしまい、それへの妄信的服従しか認めず、それ以外は存在できないのでは、困りもの。

 

斉藤喜博氏を批判して、教育技術を共有化するということで始まったこの団体も、ついにはここまで来てしまいました。

なにやら終末がみえてきた感があります。・・・・・・

(青の部分は未公開記事でした)

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TOSS界隈の人と関わることはなく、ぼくが知るのは、かつては雑誌でした。今は、ネット上のコンテンツをサラッと見るくらい。

これに振り回される人はいるんだろうなあ。でも、この方向では果たして希望は見えるんだろうか。

 

かつて、このブログで、TOSSの問題性として、以下のような記事を書いたこともありました。

 

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(2014・3・15「さんにゴリラのらぶれたあ」記事より)

 

ぼくは、次のような動きが教育の現場にあることを紹介して、お誘いします。

 

「『エネルギー教育』模擬授業全国大会」(第5回)と言うものが1月25日に行われています。「エネルギー教育全国協議会」主催です。この会は、座長が二人、千葉大教授の明石要一氏、TOSS代表の向山洋一氏です。TOSS本部ビルが連絡先になっています。

スポンサーである「日本教育新聞」2月17日号によると次のようになっています。

 

「次世代を担う子どもたちが“自らの問題”としてエネルギーについて考え、正しい判断ができるよう環境やエネルギーについての理解を深めるためには、何よりも授業でエネルギー教育を実践することが必要だ」としています。

 

今回審査員特別賞を受賞したのは、静岡の小学校教師です。その授業とは「世界一安全な原子力発電所を支える人々」と言うものです。

 

なんと、静岡と言えば浜岡原発です。その現地での授業です。

 

【授業のねらい】にはこうあります。

「浜岡原子力発電所再稼働に向けて努力している人たちの姿を知らせることで、インフラを支えている人たちの素晴らしさを考えさせる」

 

また【授業のポイント】には「…風評に惑わされることなく、自ら判断できるようにする」ともあります。

 

驚愕の授業です。

巨大地震域にある最も危険性の高い原発の実態を知らせずに、それを「風評」として、再稼働へ容認へと導く授業を、個々の人々の「努力」で解消するというのだから。

これは「洗脳」ではないのかとさえ思います。

 

「エネルギー教育全国協議会」のホームページには、あの「過酷事故」後にもまだこんな文章があります。(http://www.eneducation.jp/index.html

「原子力発電が他の発電方法に比べてよいところは、二酸化炭素をほとんど出さないことだけではなく、資源であるウランを繰り返しつかえることです。」

 

原子力発電について振りまかれた「クリーンだ」、「安価だ」、「安全だ」ということのウソは、フクイチの事態によって、もう明らか過ぎるほどなのに、再稼働の原子力村の論理にどっぷりと浸かった立場です。

 

この授業のような実践が実際に行われていること、ここには社会性の明らかな欠如があります。福島の人々の生活を知り、社会に目を向けるならば、このような授業実践になり得るはずはないでしょう。

 

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生き残りのために「権力」にすりよる姿は、ぼくには見ていられないものです。巻き込まれないために、どこに教育実践の軸足を置くのかを問い続けたいなあ。

 

(№2555の記事)