三木句会ゆかりの仲間たちの会:太田酔子さんの読書感想 | sanmokukukai2020のブログ

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     三木句会ゆかりの仲間たちの会:太田酔子さんの読書感想

 

      村田喜代子『屋根屋』(講談社、2014年。中公文庫、2022年。)

      あらすじを語るのは難儀な小説である。しかし小説の醍醐味を伝えたい

     気にさせる小説でもあった。始まりはリアリズム小説そのもので、徐々に

     現実を遊離し、幻想、または怪奇めいて読者の想念を潔く断ち切る。

 

      築18年の木造二階建ての家が雨漏りし始めた。タイトルの屋根屋に直接

        には行かない。まず夫が屋根に登って点検し、そのせいで返って雨漏りを

     ひどくするという、よくある手順に従って屋根屋が舞台に登場してくる。

     中心人物はその家の主婦、同年代の夫と17歳の息子を持つ。屋根の話なの

     だが、夢の話でもある。屋根といい夢といい、リアリズム小説のテーマから

     は少しずれやすいものではあろうか。

 

      「私」がその永瀬という屋根屋と言葉を交わすようになるのも極めて自然な

     流れからで、通常読者はその自然を自分の内に落とし込んで疑わない。永瀬が

     妻の死をきっかけに心を病み、かかった医者に「夢日記」をつけるように言い

     渡され、毎日かかさず夢を記録して既に10年が経っている。「夢は脳の重要な

     排泄物」だそうで、カウンセリングの時に夢日記を医者に見せて、排泄物を外

     の風に当て、陽の目を見せてやると頭の中が軽くなるのだという。精神分析と

     夢、始まりは巧妙で読者に不審な気持ちを抱かせない。

 

      「夢」に深く関心を持った「私」は、永瀬が夢を自由に操れることに強く

     ひかれる。夢を見る見方を彼に伝授され、導かれて夢の中で屋根巡りの冒険を

     続けていくのが小説の本体である。お寺の大屋根に登る手順も現実めいていて、

     近くの寺であれば行って実際に感触してみるし、遠ければ写真や動画で実感

     するように指示される。夢を操れる永瀬と奈良や京都の寺の屋根を巡り、やがて

     フランスの大聖堂巡りまで広がっていく。その間巧妙に夫や息子との日常を挟み

     込み、永瀬との夢の冒険がまるで道行きのように仕込んである。

 

      永瀬の語る寺院などの大屋根と屋根葺き職人にまつわる話は実に魅力的で、

     「私」が魅かれていくのは自然の成り行きと思われるし、読者をも惹きこむ。

     手始めは近くの福岡市東経寺の大屋根に夢でのランデブー。屋根というのは真下

     からは見えないし、遠くの高所から見晴らしても実感に乏しい。屋根に登って

     実感できるのが屋根屋だが、夢で屋根に降り立つ快感を「私」は知ることになる。

     その後永瀬は、妻の13回忌で大分に出かける。いかにものエピソードを挟み、

     それゆえ、すでに引き込まれている読者は虚構をすんなり信じる。大分では

     富貴寺の大堂の「行基葺き」、さらに足を伸ばして屋根屋垂涎の屋根、高知県

     豊楽寺薬師堂の「柿葺き(こけらぶき)」を巡ってくると言う。永瀬の屋根に

     対する愛は深く、知識も情報量も生半可ではない。旅先から連絡は来るが、

     その間は夢の道行きはお預けで「私」の夢願望はいっそう高まる。と同時に、

     読者の夢願望をも高めていく。

 

      永瀬と「私」とが、それぞれのベッドで夢を見て、二人の夢を接続して行き

     たいところにともに飛ぶ、というのは一歩間違えば奇譚になりそうである。実際

     この小説の結末は、それまでしつこいくらい装ってきた自然体、写実をみずから

     捨てている。

 

      寺院や仏像を解体修理したとき、中から思わぬ落書きめいた書き付けが見つかっ

     たということは聞き及んでいる事だが、同じ話が屋根葺きの瓦師にもある。名前

     や竣工年月日だけではなく、瓦師の独り言や恋い慕う娘の名前までをも刻んだ瓦

     が見つかっている。何百年の時を経て公文書ならぬ私人の思いが伝わってくる

     のは胸躍ることだ。「つまり、哀感があるとですたい」(96)と永瀬は言う。

     その落書きがこの小説のミステリアスな企みの鍵となる。

 

      時折、二人の夢行きに燃えさかる火の玉や龍のような大虎が障害物として

     現れることがあり、それぞれ永瀬の亡妻と「私」の夫だとの謎解きで、これが

     二人の夢行きの真実らしさを強めているものか、それを裏切っているものかは

     判断が難しい。

 

      いよいよフランスの大聖堂の夢旅だ。夫を一泊のゴルフ旅行に、息子をテニス

     クラブの合宿に送り出し、パスポートを準備し携行品や服装をイメージする。

     シャルル・ド・ゴール空港に降り立つまでの入念な打ち合わせ。深緑色のソフト

     帽に同色の丈長のツイード・コートの永瀬、「私」は赤のカシミアセーターに

     チェックのツイード・コート。申し合わせたような気のきいたいでたち。入国

     審査を受けタクシーでホテルへ。近場の日本食の小料理屋で鯛のあら炊きと

     ふろふき大根を注文し盃を傾ける。まさに実際のフランス行きのような事細かさ

     だが、夢なのだ。第1日目が終了する。目覚めた「私」は、前夜来の静けさが凍り

     ついている、夫も息子も留守の朝の家にいる。

 

      二日目、夫と息子から携帯に連絡が来る。夫は仲間と食事して帰ると、息子

     からはテニスの世界大会の中継を録画しておいてほしいという連絡。日常的に

     よくあることを挟み込む巧妙さは随所にある。夫の帰宅が遅かったために眠りを

     邪魔されてフランス到着が遅れ、予定していたランス大聖堂は無理だから近くの

     ノートルダムに変更することになり、まったく手が込んでいる。

 

      実のところ、フランスの大聖堂には瓦はない、軒も庇もない。屋根屋と「私」

     の屋根巡りは現実から微妙にずれ始めている。屋根巡りが、二人の現実逃避と

     までは言えないにしても幻の桃源郷探しに変わろうとしている。黒鳥に姿を

     変えて(夢だから鳥に変わるのも姿を消すのも意のままである)シャルトルの

     町を見はるかしながら、永瀬が思わぬ願望を漏らす。「私と一緒に、ここに

     残りませんか。もしよかったら二人で残って、ここでずっと暮らさんですか」

     (212)夢とは言えいささか際どい。

 

      三日間の連続夢でフランス大聖堂屋根巡りを終えた。更に冒険を欲する「私」

     に、頻繁に連続夢を見るのは危険だと永瀬屋根屋は言う。

 

     「これはリアルすぎますからな。しだいに夢と現実の区別がつきにくうなる。

     ちょうど明晰夢にはまり込むのと似とりますけん、生活に支障が出て来ると

     ですよ」(264) 

 

      いよいよこのあたりから奇譚めく。リアリズムを装って進展し、

     奇想をほしいままに翼を広げ、気がついたら読者は狐の尻尾を遠くに見るのだ。

     と言っても化かされて鼻白むわけではない。心を病んだ男の孤独、鬱屈、寂寥、

     性欲、彼は未だそれらに縛られているのではないか。夢の中で男に絡め取られ

     そうで辛うじてとどまる女。その男と女の姿は釈迦入滅に慟哭する羅漢たちの

     群像そのものである。

 

      法隆寺五重塔の上、瓦があるだけの静かで清浄な空間で、「この何もない所に

     二人で一緒に棲み着かんですか」(309-310)と永瀬の手が「私」に伸びる。その

     とき「何か声明(しょうみょう)のような音声(おんじょう)が」瓦の上に登っ

     てくる。薄鼠色の僧服をまとった一団だ。「私」は声明のような音声に、祖母が

     朝晩お経をあげていた経本の黒い怖ろしいような文字の形を思う。まるで耳なし

     芳一の体に書かれた経文を連想させる部分である。

 

      永瀬は僧服の列に飛び込み「体が手や足がばらばらになって」消える。永瀬は

     消えてしまう。「私」は相棒を求めてパリへ、シャルトルへ、法隆寺へと、明晰

     夢を意識的に見ることを実行するが、彼は忽然と消えて戻らない。徐々に奇想を

     怪しんでいた読者は、それでも、これこそ虚構の面白さだと納得する。

 

      法隆寺五重塔に墨書きで残されていた落書きを「永瀬の手が文字の上を

     ふわっと撫でると、青い光が流れて文字がおぼろげに現れた」(301)それは

     「奈尓波都尓佐久夜己(なにはつにさくやこの)」と読める。その昔手習いに使われたらしい歌謡の一部だ

     という。永瀬が忽然と消え「私」が彼を探して当の五重塔を訪ねると、その歌は

     次のように書き換えられている。屋根屋と夢の話はまさに恋の奇想話、虚構とし

     てここに完結する。

 

       コノ想ヒハ 届カズ

 

       御身コソ 塔ナリ

 

       美シキ遥カナ塔ナリ

 

                 筑紫国瓦大工(331)

 

 

 

 

 

                

                                      photo: e. ohsaki

                艶やかに凍雨塗りゆく能登瓦    たけたけ