三木句会ゆかりの仲間たちの会:『70歳からの俳句と鑑賞』聖木翔人著
俳句鑑賞 その8
敗戦日令和も戦なき世なれ 浜田輝子
「敗戦日」の誰もの決意。しかし語感に冷やかさを感じる令和という年号の初め
だからこそ、言わずにおかれない強い気持ちが伝わってくる一句です。
もう三十五年前、昭和も終わりに近い昭和五十九(千九百八十四)年、鋭い
洞察力をもった俳人・三橋敏雄は詠みました。「あやまちはくりかへします秋
の暮れ」。「この夏」が過ぎてしまえばという、彼独特の皮肉でもありますが、
すでに暗雲はたれこめていました。だが昭和をこえて平成の三十年、あやまちは
くりかえさせませんでした。いまどこに立っているのか。それは「九条俳句事件」
に示されています。「梅雨空に『九条守れ』の女性デモ」。この俳句が最高裁
まで争われ、辛うじて勝訴(平成三十年十二月)となったことをみてもあきらか
です。戦争はいや、平和こそ、の言葉が政治的偏向として公権力から攻撃、排除
されるところまできています。
この句は、これから長く生きてゆく人々のために、呼びかけと祈りの語調を
もって言わずにおれないものでした。やがて子や孫たちはこの句を母の言葉、
祖母の言葉として長く記憶にとどめ、まじまじと読み返すときがくるにちがい
ありません。
白日・白月集抄(「白」三〇二号)
蟋蟀の素揚げで一杯なんて日も 原田洋子
「白日集」は「連作俳句」。五句で一つの世界をつくる構想力と技量が求めら
れます。
作者はその練達の一人です。「神の留守」(陰暦十〇月・神無月)をテーマに
見事に(五句目の「神の留守ちょいと江戸まで行ってくる」というところから
みれば江戸近郊の在か)、いわば長屋のひとりの町人世界を活写し、西鶴的世界
を彷彿と連想させます。五句全体を読むと、時代と人間の生活のありさまが生きて
よみがえってきます。
最初に「神の留守山の神さえ居なければ」と、おかみさんがいなければどんなに
開放的に気ままに暮らせるかと思っている。借金取りには「懐手それが答えという
ように」対応し、なにかと言えば「朴落葉急いで隠す二枚舌」を使ういいかげんさ
だが、生活の知恵を使って暮らしている。晩酌の肴も、なんと、長屋の隅で鳴いて
いる蟋蟀を捕まえて、空揚げをつくってしまう。ここで注意すべきは「コオロギの
空揚げ」が「ゲテモノ」などではなく、エビにも負けぬ酒肴の逸品だということ。
怪しいと思うひとは直ちにネットで調べる必要があります。蟋蟀とは食用でもあった
という「目からうろこ」の大発見です。自然は酒の肴の宝庫です。
つまり、「神の留守」のあいだに、実は生き生きと自分流の生活をして充実して
いる庶民の姿、その象徴がこの一句です。
消費税十〇%で混乱を深めているいまのご時勢から想像もできません。そして
かつて、倹約を旨としながら、自分の工夫や知恵でのびのびと生きていた江戸期の
庶民たちがいたということは、二〇一九年ただいまの「教訓」ともなりましょう。
誠に俳諧精神の横溢した快作といっていいでしょう。
photo: y. asuka
ひしと抱く淡雪のとけ闇ひとり 聖木翔人