三木句会ゆかりの仲間たちの会:有冨光英自解150選 その6 | sanmokukukai2020のブログ

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     三木句会ゆかりの仲間たちの会:有冨光英自解150選 その6

 

 

     或る悔や汗噴き出づるままに佇つ     昭和35年作

 

     「草くき」は反写実主義を主張していた。主宰宇田零雨の持説は主観主義と客観

     主義の交替論で、「ホトトギス」の客観俳句の後は主観俳句の時代が来ると唱え

     ていた。若さということもあり、写生一辺倒の風潮に反発を感じていた私には、

     「草くき」の主観尊重、特に浪漫性俳句は居心地がよかった。

      ただ余りにも主観を強調するために感傷語を多用する弊は免れ難かった。

     掲句の「或る悔や」にも多分にその傾向が見られることは否めない。当時の私

     自身の処世を顧みると、悔ばかりが多かったのも事実だった。三十過ぎてなか

     なか一人立ちできない自分を責める気持と、そういう己を客観的に見る自分とが、

     私の内部で複雑に交じり合っていたともいえる。

                              『日輪』・季語=汗

 

 

      凩や褒貶に耐ふ三十代     昭和36年作

 

      大正十四年生まれの私の年齢は数えやすい。昭和の年号が私の齢なのですぐ

     わかる。この年の誕生日で三十六歳になった。

      而立という言葉もあるくらい男三十は働き盛りだが、二十代の大部分を病気

     療養に費やした私は、人より十年は社会的生活が遅れていることを自覚して

     いた。何回かの勤め先を替え、或いは自営を試みて悪戦苦闘の連続だった。

     老いた母と暮らしていたが、戦災の被害を受けなかった家屋が残ったのが唯一

     の幸だった。正に「褒貶に耐ふ三十代」であった。

      ただ救われたのはよき友達に恵まれていたことと、いささかの矜持を失わ

     ずにいたことであろう。今振り返るとこの年が私の人生の曲り角であった

     ように思う。

                              『日輪』・季語=凩

 

 

 

 

 

 

              

                          photo: y. asuka

                           余寒ゆるゆるほどけスパゲティ細身   有冨光英