三木句会ゆかりの仲間たちの会:太田酔子さんの読書日記
先日、世界経済フォーラムが、2024年版の「ジェンダーギャップ指数」を発表した。
政治、経済、教育、健康の4分野14項目を数値化したもので、評価対象は146カ国。日本は
全体の順位は118位といつものような恐るべき結果である。ただ教育分野のみは平等という
数字が出ている。人権や経済格差ほか様々な分野での非平等があり、何を指標にするかで
違ってもくるだろう。英国のホームレス用シェルターで暮らす女性たちを扱った作品と、
日本の地方と都市の隔たりにきっかけがある作品を並べてみた。
ブレイディみかこ『R・S・P・E・C・T リスペクト』(筑摩書房、2023年)
作者は『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』(2019年)その他で数々の
賞を受賞しているライター。主としてノンフィクションのライターだが、この作品は小説
と言っている。ただし、2014年のロンドンで実際に起きた公営住宅占拠事件をモデルに
していて、切迫した筆致は読者をヒリヒリした情動に駆り立てるので、怒りを内包した
ドキュメンタリーの趣がある。
ロンドンオリンピックは成功だったと評価されていると思っていたが、やはり会場用地
に選ばれたいわゆるイーストエンド地区にはジェントリフィケーション、ソーシャル・ク
レンジングといった大がかりな再開発が進行し、そこに暮らしていた貧しい人たちが追い
出されるという問題が明るみに出た。
実際の占拠事件は、「ザ・サンクチュアリ」というホームレス用シェルターで暮らして
いたシングルマザーたちが起こした。事件が明るみに出たところで「ザ・サンクチュア
リ」はなんとも皮肉な名前になってしまったものだ。住人たちは、DVから逃れてきたり、
養護施設や里親の家から出て赤ん坊を産んだり、実際に路上生活をしていたりと理由は
さまざまだが、彼らはそこでしか暮らしていけない、そこだけが逃げ込める場所である人
たちであった。
ところが、ある日突然、彼らは退去命令を受ける。理由はジェントリフィケーション
という「都市の高級化」のためだ。二十歳前後の貧しいシングルマザーたちは、黙って従
おうにも生きる場所はなく、黙っていれば危うく存在まで消されそうになるわけで、ぎり
ぎりのところで踏みとどまって声をあげるのだ。つまり、彼ら、虐げられがちな者たちの
「尊厳」の回復、覚醒にいたる、なかなか痛快な物語である。
話の推進役として日本人の女性が登場し、その事件に巻き込まれるという展開になる。
彼女は大手新聞社のロンドン特派員で、男性社員の中で、企画は黙殺され、沈黙と従順を
強いられて悶々としていた。つまり、彼女も住宅占拠事件を起こした主人公たちと同類の
立場である。彼らと同じく尊厳を回復しなければならない存在である。事件の推移に連れ
て彼らと同様彼女も自己覚醒に至るのである。
ドキュメンタリではなく小説だと作者が特別に言っていることに特別に意味があるかも
知れない。これは個別の話ではない、普遍的な全時代に関わる話なのだよ、と言っている。
若竹千佐子『おらおらでひとりいぐも』(河出書房新社、2017年。河出文庫、2020年)
作者は、この作品で2017年に文藝賞(新人賞)、2018年に芥川賞を受賞した。文藝新
人賞を受賞した年齢が63歳で、史上最年長の新人賞と話題になった。
2023年、2017年から6年を経て2作目の『かっかどるどるどぅ』が出版されて再び話
題になり、私も最初の作品から読み始めた。
タイトルが示す通り本文の肝心なところは標準語(共通語、東京語)ではない。だから
読むのに時間がかかる。理解するのに一拍置かなければならない。一拍置くことを少し煩
わしいと感じるのは自分がせっかちなのだと反省し、やがてその言葉は主人公桃子さんを
象徴するのだと徐々に理解する。時は前のオリンピックの年で、主人公桃子さんは24歳、
故郷を出て上野駅に降り立った。心細さと解放感。山の子が都会でいかに生きるか。よく
ある話かというと実はこういうことなのである。
あの頃、痛く突き刺さった言葉がある。
蕎麦屋をやめてすでに何軒か店を替えていた。大衆割烹の店で朋輩の子のひとこと、桃
ちゃんてさ、わたしっていう前に、必ずひといき入れるんだよね。(83)
これがその頃までの桃子さんを象徴している。つまり、彼女は自分をまだ生きていない。
そしてある日その店で、屈託なく大きな声で「おらは、おらは」と話す周造に出会ってた
ちまち恋に落ち結婚し子どもを育て充足した。しかし、その充足は周造の突然の死でプツ
ンと消える。過去に囚われて自分の内面へ沈潜していき、出口のない過去を掘り返すこと
の繰り返しが続く。
そしてたどり着くのは、もう今までの自分では信用できない。おらの
思っても見ながった世界がある。そごさ、行ってみって。おら、いぐも。おらおらで、ひ
とりいぐも。(127)
修造はおらを独り生がせるために死んだ。はがらいなんだ。修造のはがらい、それがら、
その向ごうに透かして見える大っきなもののはがらい。(151)
独りで生きて、なおかつ周造と繋がっていること、老年にさしかかった桃子さんのこん
な覚醒の話である。
文庫版に「解説」がついている。町田 康の解説である。これがすこぶる秀逸だ。ちな
みに、2作目よりこの作品がテーマといい、テーマへの迫り方といい、佳作だと思う。
photo: y. asuka
白南風や砂丘へもどす靴の砂 中尾杏子