三木句会ゆかりの仲間たちの会:聖木翔人著『70歳からの俳句と鑑賞』より3 | sanmokukukai2020のブログ

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   三木句会ゆかりの仲間たちの会:聖木翔人著『70歳からの俳句と鑑賞』より3

 

 

   蝶二頭空二分して日暮まで    飛鳥遊子

 

    思わず、あれ? 蝶は一匹ではなかったのか? と思って辞書を調べる。すると英語の

   「ヘッド」の直訳で、学術専門用語の用法として、蝶は哺乳類のように「頭(とう)」と

   よむことができるとあります。「一匹」でも間違いではないのですが、頭の部分がはっき

   りと体から区別されているからだと説明されるとなるほどと思います。

    この句はそこを捉えて、俳句の一語の意味の大きさを教えてくれるものとなっています。

   そのことを知ったうえでこの句を読むと、まるで「蝶ニ頭」が「象二頭」と同じ重さ大き

   さに思えてきます。そして蝶の眼に象の眼がかさなってきます。どこかそう言われれば似

   ているような。それが生き物であり大小にかかわりのない「いのち」なのです。

    その「蝶ニ頭」がいきいきと春の空高く、寄りそい、離れつつ、大空を二分して日の暮

   れるまで飛び続けている。「蝶ニ頭」ということによって、新しく見えてくる春の、のど

   かだが、大きな風景です。「いきいきと三月生まる雲の奥」(龍太)のもっと雲の手前の

   風景です。

 

 

   ワイングラスに金魚四匹ミモザ咲く    太田酔子

 

    ミモザとは銀葉アカシアのフランス語名。街路樹ともなり春深まれば淡黄色の花房を

   開きます。

    しゃれた大通り、久しぶりにぶらりと店をのぞきながら歩きます。するとみたことの

   あるブティックのガラス越しに小さく色鮮やかに動くもの。金魚鉢ではなく大きなワイン

   グラスの中に小さな金魚が四匹、せわしなく泳いでいるのが目に留まりました。近づくと

   余計に餌をねだるように動きます。ああ、こんなところに金魚がいたかと、弾んだ気持ち

   になり、通りをまた歩き始めます。

    ミモザの木の向こうは高層の最新のマンション群。ふと思うのです。あのマンションの

   一室。

    無臭・無菌の、まわりは白い壁に囲まれて、家族四人が暮らしている。それが当たり前

   で普通の生活様式になってきた。あのワイングラスの金魚はグラスが割れれば、飽きて捨

   てられれば、それで終わり。その危なっかしさは「金魚四匹」も「人間四人」も、その置

   かれた境遇は似たようなものではないのだろうか。

    明るい色彩の光りの中に、現代の風景の奥底をみた、なかなか含蓄の深い一句です。

 

 

 

 

 

                   

                                                     

                                                                         photo: y. asuka

                   蝶の恋空の窪んでゐるところ   川嶋一美