三木句会ゆかりの仲間たちの会:太田酔子の俳句鑑賞 その3 | sanmokukukai2020のブログ

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   三木句会ゆかりの仲間たちの会:太田酔子による俳句鑑賞文 その3

 

 

    有冨光英氏は昭和五十三年(1978年)に『あいうえお』(改題『白』)を創刊した。

   「俳句は抒情詩である···更なる目標として象徴性のある俳句を目指す」と「主張」に掲げた。

   『自解150句選』には、誠心誠意その主張と取り組んだ軌跡を見ることができる。句を選び

   出す必要はなく、およそ全ての句が氏の取り組みを語っている。的確な言葉で紡ぐ鮮やか

   なイメージが氏の俳句の中核を成している。

 

   子にひそむ景色を割りて紙風船   昭和52年

    『あいうえお』を創刊する前年の作である。紙風船という「もの」に自由、飛翔、希望

   などを象徴させる強引さはまったくなく、ありありと現前させる措辞として「景色を割る」

   がある。紙風船の持つイメージは本来「子」にひそんでいるゆえに象徴性に無理がない。

 

   紫雲英田を抛りだしたる太平洋   平成4年

    春たけなわの頃、渥美半島から伊良湖崎に向かった折の嘱目即吟だそうである。芭蕉と

   杜國を偲ぶべく「長い間の渇望の地」だったと記した。この句に寄せた安西  篤の評は

   「言葉のパフォーマンスによって、イメージが身体感覚を伴って象徴される」である。

   大地一面の紫雲英の花と青く盛りあがっている春の太平洋との絶景を、中七の「抛りだし

   たる」が理屈でなく明確なイメージを結んで迫ってくる。「太平洋」がなんともおおらか

   で渇望の地にいる感慨が大きな景色として伝わる。

 

    即吟もあれば、長年かかって熟成する場合も多い。この自解本には詩の熟成ぶり、旨味

   が醸し出される化学変化を待つ姿勢が語られていて、自解本の醍醐味を味わうことができ

   る。前回取り上げた<金魚>の句は、実に五十年という歳月を経て出来上がったものであ

   る。固定したイメージから離れた独自の金魚のイメージを探し当てるのにそれだけの熟成

   期間が必要だったわけである。

    意識的に熟成を待つのでなくても、意識の底深くに眠っているものを取り出していのちを

   与える作業もある。

 

   向日葵の果ては駱駝の首となる   平成8年

    この句の熟成にどれほどの時間をかけたのか定かではないが、向日葵のよくある外向的

   なイメージを離れて「駱駝の首」という発想を得たのは、シルクロードでの見聞から幾ら

   かの時を経てのことらしい。

 

   鮟鱇の口だけとなり発光す     平成7年

    鮟鱇の句を作りたいと思っていた氏だったが、加藤楸邨の名句<鮟鱇の骨まで凍てて

   ぶちきらる>を前に、意欲が減退する時を過ごしていた。あるとき鮟鱇の吊るし切りを見

   ることができたという。「どんどん身を削がれ、最後は口だけになってしまった。咄嗟に

   これだと思った。無くなったもの、目にみえなくなったものから生命が光っているように

   感じられた」。

    感動的な自解である。探しものを心に抱き続けていると、突然光って現れる時がある。

 

    本書を読み通して考えついたことに、戦前の教育に大きな比重を占めていたであろう漢文

   が氏の血肉となっていると思われることがある。言語の幅が格段に広い。

   彼岸波襤褸市井に遠くあり  昭和50年

   花冷の水倥偬の日におもく  昭和50年

    句集『市井倥偬』の冒頭に置かれた句である。「襤褸」にしても「倥偬」にしても、知識

   としてわが脳内にあっても、自らの語彙として使えるかと言えば心許ない。漢語と言える

   のかどうか危ういが、これらに類する言葉は実に多く、あえて言えば、ものと己を両断す

   るようなきっぱりした印象を与える効果が大で、句の抑揚がめざましい。

 

   春微笑喨々天の楽下る     昭和52年 

    四季の風情を春·夏·秋·冬という言葉だけに頼ると単純で句に焦点がなくなると氏は自覚し

   ている。それでも、「春そのものを句にしたい」と思うときがあり、春という言葉のリズ

   ムから受ける情感だけを具象がないままに作句した、というのがこの句である。弾むよう

   なこの句のリズムはまさに春そのもので、「喨々」という語の意味と音がすこぶる抜群の

   選択である。漢字の多いきっぱりした一句を春の情感を表すものとしている。春の音楽を

   ひらかなではなく「あえて」漢字にしたところが氏らしい。

 

    春の情感のほかに、次のような句がある。情感と具象の関係性に迫った俳句である。

   縄跳びのだんだん早くなる落暉   昭和61年

   焦燥感を具象的に把えるとどのような表現になるか、という発想で作ったという。縄跳び

   の動きにも没する太陽の動きにも焦燥感を覚えさせるものがあり、ものそのものの内包し

   ている情感が引き出されているのだ。具象に内包された情感、情感を取り出すための具象

   の選択。彫像は石に内包され、取り出されるのを待っているというように。

 

    氏は「私という人間を見て貰えれば幸いである」と「あとがき」に書いたが、読み終わっ

   てどのような人間像が結ばれたかを考えていて、思い浮かんだのは「清廉」ということであ

   った。

    彼は十四歳から名古屋の陸軍幼年学校に在学した。陸軍士官学校入学をめざす少年の教育

   機関である。そして彼はパイロットとなり、特攻出撃を待つ身となった。直接でなくとも

   戦争を踏まえて詠んだ句は散見され、それらの句から、戦後の社会への向き合い方に、穏

   やかながら手心は加えないというバランスの取れた人格が見える。氏の中心には戦前の教育

   の良質なところ、良き保守性があるのだと感じる。

    直接、間接、戦争に関する句のいくつかを揚げておきたい。兄の戦死、夫人の家族の被爆、

   自身がまさに軍人であったこともつい頭をよぎる。

   休止符をとまらぬピアノ原爆忌   昭和50年 原爆忌とピアノの取り合わせの斬新さ

   鰯雲のび切り操車場出口      昭和51年 航空士官学校での訓練中の飛行場

   鰯雲ゆっくり首の皮いちまい    平成3年  戯画化した措辞に真意をこめた句

   勝者敗者みなおとなしき冬の壁   平成5年  ポツダム訪問、「おとなしき」の含意

   半世紀過ぎて広島匂ふかな     平成8年  半世紀は人と戦争をいかに変えたか

   室咲のチエホフでなしノラでなし   平成9年

    新劇の舞台に親しみ、杉田久女の<足袋つぐやノラともならず教師妻>、中村草田男の

   <燭の灯を煙草火としつチエホフ忌>に感動し、この二作から「俳句が人生を描ける」こと

   を知ったという。有冨光英氏自身もまた人生を描いてきた。清廉な人生を。 <完>

                                 

                               

 

 

               

                                  artist: david west 

                金魚屋のとどまるところ濡れにけり   飴山 實