三木句会ゆかりの仲間たちの会:聖木翔人さんの俳句鑑賞 | sanmokukukai2020のブログ

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   三木句会ゆかりの仲間たちの会:聖木翔人さんの俳句鑑賞

 

    翔人さんが続きます。3月のある時、こんな文面のメールをいただきました。連載の

   始まった湯島句会から選句をされ「白」に掲載された鑑賞について、”ともかく、上から

   目線でも、評論家的でもなく、句に寄り添って、身を任せて鑑賞してみようとした”と。

   さらに、”一度は書いておきたかったこと、以下に書いておきます。もし都合がつけば、

   いかようにでも扱ってください。”とおっしゃってくださったので、さっそくのご紹介

   です。

 

 

   神宮前小梅さんの一句      聖木翔人

 

    先日、ブログで神宮寺小梅さんの名前を見て、エッセイを読み、その教養の深さと

   センスに感心した。私は以前から名前は知っていたが、まったく面識がない。ただ、

          その名前がいつも頭を離れがたくなったのは、去年の『白俳句会・合同句集』を見て

   からだった。

   他のことは触れないが、ただ神宮前小梅さんの一句:

 

   敗戦忌以降奴隷で御座候

 

   の一句の衝撃はたいへん大きかった。

 

    私は、俳句は政治的、社会的動向への深い関心と知識をもたないではどこかに深み

   が欠けると考えているが、かといって、それがもろだしになればシラケる。

    深く深くつかんだ末に自分の得心のゆく17文字にするまでの苦心というか苦闘が必要

   だ。

   そのことを、このように、いかにもさりげなくズバリというかバッサリというか、やって

   のける俳人に驚き、頭が下がった。この俳号にしてこの句がピタリとはまった。私がその

   とき、とっさに、対比的に思い出したのは、虚子の句:

 

   去年今年貫く棒の如きもの

 

   である。これはこれで「大虚子」のいかにもヌーボー感がでて面白いが、感じようでは

   いかにも態度が大きすぎる嫌みもある。私には、もしこの虚子句が名句とすれば、小梅

   さんの一句は、それと並ぶ名句だと思える。それは私だけかも知れないが、しかし、そう

   思っている人が、確実に一人はいることを、小梅さんに伝えておきたい。いっそう頑張

   ってください。

 

 

   

 

                

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