三木句会ゆかりの仲間たちの会:聖木翔人さんの俳句鑑賞
翔人さんが続きます。3月のある時、こんな文面のメールをいただきました。連載の
始まった湯島句会から選句をされ「白」に掲載された鑑賞について、”ともかく、上から
目線でも、評論家的でもなく、句に寄り添って、身を任せて鑑賞してみようとした”と。
さらに、”一度は書いておきたかったこと、以下に書いておきます。もし都合がつけば、
いかようにでも扱ってください。”とおっしゃってくださったので、さっそくのご紹介
です。
神宮前小梅さんの一句 聖木翔人
先日、ブログで神宮寺小梅さんの名前を見て、エッセイを読み、その教養の深さと
センスに感心した。私は以前から名前は知っていたが、まったく面識がない。ただ、
その名前がいつも頭を離れがたくなったのは、去年の『白俳句会・合同句集』を見て
からだった。
他のことは触れないが、ただ神宮前小梅さんの一句:
敗戦忌以降奴隷で御座候
の一句の衝撃はたいへん大きかった。
私は、俳句は政治的、社会的動向への深い関心と知識をもたないではどこかに深み
が欠けると考えているが、かといって、それがもろだしになればシラケる。
深く深くつかんだ末に自分の得心のゆく17文字にするまでの苦心というか苦闘が必要
だ。
そのことを、このように、いかにもさりげなくズバリというかバッサリというか、やって
のける俳人に驚き、頭が下がった。この俳号にしてこの句がピタリとはまった。私がその
とき、とっさに、対比的に思い出したのは、虚子の句:
去年今年貫く棒の如きもの
である。これはこれで「大虚子」のいかにもヌーボー感がでて面白いが、感じようでは
いかにも態度が大きすぎる嫌みもある。私には、もしこの虚子句が名句とすれば、小梅
さんの一句は、それと並ぶ名句だと思える。それは私だけかも知れないが、しかし、そう
思っている人が、確実に一人はいることを、小梅さんに伝えておきたい。いっそう頑張
ってください。
eerdmans new york
花冷えや初めて綴る顛末書 佐々木千雅子