三木句会ゆかりの仲間たちの会:太田酔子の俳句鑑賞 | sanmokukukai2020のブログ

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   三木句会ゆかりの仲間たちの会:太田酔子の俳句鑑賞

 

    俳句結社『白』の創始者・有冨光英氏は「俳句は抒情詩である」を唱え、詩情豊かな

   現代俳句を詠まれました。『有冨光英自解150句選』から、太田酔子さんが鑑賞文を寄せて

   くださいました。3部に分けてご紹介します。

 

 

   『有冨光英自解150句選』(2001年初版、北溟社)を読む

 

    短い「あとがき」がある。北溟社の「自解150句選シリーズ」に加えてもらったという

   挨拶から始めて、「自句についての思いを述べる」機会を得たことを謝している。なんだ

   か折目正しい人柄を見るというか、挨拶句の慣例をきちんと踏襲しているというか、本を

   読み終わった時の印象と違わない。さらに「書き上げてみるとやはり自分史になって」い

   ると言い「私という人間を見て貰えれば幸い」だと堂々としたものである。自解本を伝記

   のように読むつもりはないが、読み終わってみるとなるほど作者の人となりが幽暗のうち

   に現れてきた。

 

      位牌軽きその空しさの盂蘭盆会   昭和24年

    位牌には実際の重量とは異なる重さがある。この句では、死者の生きた歳月を刻んだ重

   いはずの位牌があまりに軽く、空しさを覚えている。

    普通に読んでもこの句のしめやかさは読み取れる。さらに、昭和24年の作だということ

   を含めれば戦地からの死者を祀る盂蘭盆会であろうと推測できる。しかし、ここに自解を

   置いてみる。この句に作者は前書をつけた。「兄、昭和二十年三月、比島パナイ島にて

   戦死、公報のみにて遺骨帰らず」と。自解は「遺骨は戻らなかった。遺骨と称して私が

   受け取ったのは小石が一つだった」と結ばれていて、しめやかさに加えて悲痛である。

   自解は、このように読みを補強してくれるのが魅力の一つであろう。

 

      公魚はしろがねの真日放ちけり   昭和32年

    光英氏特有の清々しいイメージに溢れている。自解なしに読んだ段階では中七、下五は

   白い公魚が美しい日を反射してきらきらと跳ねる様を詠んだと理解してイメージの清新さ

   を楽しんだ。自解には次のような言葉がある。霞ヶ浦の公魚漁の「夜を徹して湖面を走っ

   た白帆が朝日を浴びて湖岸に帰ってくる光景」だと言うのである。公魚の煌めく色だけで

   はない、白帆も朝日を浴びて輝いている。「しろがねの真日」といういやが上にも美しさ

   を強調したところからは、労働の美しさすら詠み込んでいるのではないかと思える。イメ

   ージは単純ではないことを自解が教えてくれている。

 

      春泥を踏む道明日も続く道   昭和35年

    「春泥」について、生活実感としての「どろんこ」が季語として象徴性を持っているこ

   とに俳句を始めてから気づいたと述べている。さらに「春泥には、冬から春にかけて雪解

   水が流れ出るような開放的な一面と、逆に一歩でも踏みこむと、泥濘に足を取られるよう

   な焦燥感と挫折感を象徴する消極面もあった」と、季語の象徴性について具体的な手解き

   をしてくれている。

    「道」の繰り返しによってその道が遥か遠くに続いていくことを思わせ、しかもその道

   が春泥に象徴される消極面が予感されることもあろうことがしみじみと沁みてくる句であ

   る。だがそれだけではなく、繰り返しの快いリズムは消極面に加えていささかの喜びが謳

   われているようでもある。

 

      或る悔や汗噴き出づるままに佇つ   昭和35年

      凩や褒貶に耐ふ三十代        昭和36年

    光英氏の属していた「草くき」の主宰宇田零雨は、主観主義と客観主義は交替するとい

   うことを持説としていたという。当時の俳句界は客観主義が席巻していた。光英氏も、当

   時の写生一辺倒の風潮に反発を感じていて、「草くき」の主観尊重の浪漫性俳句は居心地

   が良かったと述べている。ところが、主観を良しとするが故に作品に「感傷語」を多用す

   る弊を免れ難かったと自解にはある。確かに掲句の「或る悔や」「褒貶に耐ふ」は抽象的

   な主観の言葉である。しかしその主観語に続く「汗噴き出づるままに佇つ」には上五の抽

   象性を補って余る客観性があるし、汗という季語がその悔の性質まで想像させる力を発揮

   していると思われる。二句目も「三十代」には褒貶と呼応する説得性があるし、「耐ふ」

   には褒貶とも響き合い凩とも呼応していて主観一辺倒ではない。

 

      訃に遠く春あけぼのの逆光る   昭和48年「四季」(松澤昭主宰)入会

    氏は、この句を転機として「俳句観」が複眼的になり、作句に広がりが生じたと述べて

   いる。作句の広がりを鑑賞してみよう。死は遠くにある。春の夜は暁から曙へとわずかに

   時間が移って、ものの姿がぼんやりと見えるくらいに明け初める。しかし死のかたちを捉

   えるべきその光は逆光となり死を一層遠いものにする。春あけぼのの柔らかさと死の硬さ

   が複眼的に一句の中に閉じ込められていて、「心象造形の象徴性」とはこういうことかと

   思わせる。

    入会した「四季」主宰の松澤昭氏の、この句に対する評言を氏が自解に収めてある。そ

   れをここにも引いておきたい。的確で過不足のない読みを与えた松澤氏。両者の間にある

   緊張関係がすがすがしい。

    「詩人としての非常の立場に耐へる作者は、春の曙とは言へ、まるで逆光りするやうな

   光彩の中に己れを据ゑることにより、その慟哭の思ひを詩品として高揚せしめているので

   ある。」                                                                                    (つづく)

 

 

 

 

 

                

                        photo: h. matsuzaki

                                    梅咲いてまたひととせの異国かな      ジャック・スタム

                  plums blossom/ another year/ another country          jack stamm