三木句会ゆかりの仲間たちの会:関根瞬泡著『芥川』より | sanmokukukai2020のブログ

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   三木句会ゆかりの仲間たちの会:関根瞬泡著『芥川』より

 

     妙玖寺

 

    先日、こんな事があった。自転車に乗って家の近郊をふらついていた時、あるお寺の前

   にさしかかった。入り口の石には「妙玖寺」と書いてある。ここは、私の両親が生まれ

   育った、いわば、私にとっては、ルーツともいうべき村の領主だった、山内氏一族が眠る

   お寺である。

    以前、私は、私の拙著「一沙鴎」の中の「アミダチ」というエッセイで、この村、すな

   わち、埼玉県北足立郡指扇村のネーミングについてのエピソードを紹介した。その時の話

   では、「俗説ではあるが」と前置きして、戦国時代、徳川家康がこの地にやってきた折、

   かたわらに居た山内一豊に、扇で指して、「この一帯の村の土地をお前に与える」と言っ

   たことによると書いた。しかし、事実はそれと異なっていた。

    「妙玖寺」の山内氏一族が眠るお墓の前の案内板によると、この村を与えたのは家康で

   はなく、二代目の秀忠であった。大坂の陣で運功のあった、土佐藩主の山内忠義の実弟の

   一唯が元和九年に拝領したのだという。忠義は一豊の弟の康豊の長男であるから、まるで

   話は違ってくる。ちなみに、「妙玖寺」というのは、初代指扇領主、山内一唯の母の妙玖

   院からとったものだともいう。

    これを見て、私は、何か、新しい発見でもしたような、一方では、俗説とはいかにあて

   にならないものか、と、落胆したような、妙な気持になった。知らなければ、かえってそ

   の方が良い場合もあるが、こういうことは正確に伝えるべきだと言って譲らない人もい

   る。                             (2009年9月)

 

 

 

 

                                                  

                                                                              photo: s. shioyasu

                                                   雪はげし能登に御陣乗太鼓鳴る   関根瞬泡