三木句会ゆかりの仲間たちの会:関根瞬泡著『芥川』より
妙玖寺
先日、こんな事があった。自転車に乗って家の近郊をふらついていた時、あるお寺の前
にさしかかった。入り口の石には「妙玖寺」と書いてある。ここは、私の両親が生まれ
育った、いわば、私にとっては、ルーツともいうべき村の領主だった、山内氏一族が眠る
お寺である。
以前、私は、私の拙著「一沙鴎」の中の「アミダチ」というエッセイで、この村、すな
わち、埼玉県北足立郡指扇村のネーミングについてのエピソードを紹介した。その時の話
では、「俗説ではあるが」と前置きして、戦国時代、徳川家康がこの地にやってきた折、
かたわらに居た山内一豊に、扇で指して、「この一帯の村の土地をお前に与える」と言っ
たことによると書いた。しかし、事実はそれと異なっていた。
「妙玖寺」の山内氏一族が眠るお墓の前の案内板によると、この村を与えたのは家康で
はなく、二代目の秀忠であった。大坂の陣で運功のあった、土佐藩主の山内忠義の実弟の
一唯が元和九年に拝領したのだという。忠義は一豊の弟の康豊の長男であるから、まるで
話は違ってくる。ちなみに、「妙玖寺」というのは、初代指扇領主、山内一唯の母の妙玖
院からとったものだともいう。
これを見て、私は、何か、新しい発見でもしたような、一方では、俗説とはいかにあて
にならないものか、と、落胆したような、妙な気持になった。知らなければ、かえってそ
の方が良い場合もあるが、こういうことは正確に伝えるべきだと言って譲らない人もい
る。 (2009年9月)
photo: s. shioyasu
雪はげし能登に御陣乗太鼓鳴る 関根瞬泡