三木句会ゆかりの仲間たちの会:飛鳥遊子からの感想
佐々木千雅子さんの北陸のお正月にまつわるエッセイを読んで、樹 水流さんが湘南の
餅つき風景で応じ、さらにそれを引き取って太田酔子さんが、幼い頃の思い出や、これ
からの日本のお正月について思いを巡らせてくださいました。となれば、私もバトンを
受けて走りたくなってしまいました。
というのも、私には餅つきの経験がなく、ごく早い時期に家族で新年を祝う習慣が
途絶えたように思い起こすのです。小学生の頃の記憶では、餅は大晦日の夕刻、注文した
ところに取りにゆき、鏡餅を床間に飾ったり、小さな鏡餅を各部屋に置いたり。雑煮用に
平たくのされたもちを4角く切る力仕事は父の担当だったり。どうやらお雑煮の角餅は
関東、丸餅は関西という大雑把な分け方があるそうです。新興の住宅地では伝統も伝承
もなかったのでしょう。
母は大晦日にはきんとんや煮しめを作っていましたが、私は父と庭掃除。そのせいか、
いまだに庭の草むしりに追われている、、、。元朝、赤い着物を着せられて、屠蘇器や
重箱の並ぶ新たまった気配の座敷に家族と卓を囲み、最後に父の唸る謡の”高砂や~~”
の終わるのを待って解放。というわけで、私には正月料理の家伝の味も伝わっておらず、
結婚後は形ばかりの2人前のお節を料理店に注文していましたが、塩分強めのそれはさし
て美味しいものではありませんでした。
ある年、京都で年越しをしたことがありました。困ったのは、29日頃にはましな
料理屋さんは店を閉めてしまい、もっぱら注文のお節作りに邁進するという街である
ようで、中華料理店くらいしか営業していない、という経験をしました。京都は家業の
お商売屋さんも多く、主婦といえども手料理する暇はなく、日常的に仕出しをとる習慣
があるのもうなづけます。
さて、これからのニッポンのお正月はどのようなことになるのでしょう。豪華客船で
年越しクルーズに出て、異国の洋上でお節をいただく? そして、杞憂に終われば幸い
ですが、屠蘇器や重箱といったハレの漆器が、私たちの暮らしから本当に消えてしまう
ことです。今の小学生は屠蘇器を見たことがあるでしょうか。酔子さんの文章にある
ように、日本の古いならわしは簡単には消えないことを信じましょう。
がんばれ、輪島塗!!
飛鳥遊子
photo: william r. tingey
屠蘇散や夫は他人なので好き 池田澄子