三木句会ゆかりの仲間たちの会:太田酔子さんからの感想
佐々木千雅子さま
「岩手県三陸地方の年越しと年用意あれこれ」を感慨深く拝読しました。由緒正しい伝統
のお正月を4年前まで担っていらっしゃったのですね。私の郷里でのお正月も、確かに1年
に1回の晴れの大仕事でしたが、佐々木さんのエッセイに特徴的な「厳粛な神事」という
性格はやや薄かったと思います。土地柄でしょうか。
佐々木さんに水流さんの返信がアップされて、両方を読むと一層興味深いものがあり
ます。コロナが季節ごとの伝統的な行事や慣習を変えるだろうということは、佐々木さん
のエッセイにも水流さんの感想にもある通りでしょう。ただ、それを前向きに考えれば、
伝統の重圧みたいなものを見直すきっかけにもなるということで、すでに佐々木さんは
見直していらっしゃるようにお見受けします。
お正月を迎える慣例はいくつか覚えがあります。年神様をお迎えするための門松用の松
やお鏡様を祀る三方を飾る裏白などは祖父が山から調達していました。神棚の掃除をして
お神酒を供えるのも祖父の役目。注連縄は近所の人が作ってくださっていたと記憶して
います。仏具磨きは子どもたちの手も当てにされました。障子も貼り替えます。家の中が
ピカピカになって、特別な時を迎えるのだと実感したものです。
餅つきの大変さは同じでした。祖母が前夜からもち米を水に浸し、杵も浸しておく、
翌日、餅つき当日も朝まだ暗いうちからおおわらわで用意していました。まだ炊事場は
土間で、板張りの台所と土間とは硝子戸で仕切られていたので、もち米をむす蒸気で硝子
戸が水滴で曇っている景色が記憶に残っています。杵つきをするのは父。振り下ろされる
杵の隙をとらえて合いの手を入れる祖母を驚嘆して見ていました。搗き上がったらとに
かく手早く、大小の鏡餅から餡入り丸餅(私の郷里の香川県のお雑煮は餡入りの丸餅です)
へとひたすら丸めていく。ここから母の出番。私も真似事をしました。搗き立てのお餅の
やわらかさといったら、今も手のひらに感触があります。
佐々木さんも20年前には餅つきをやめたと書いておられますが、我が家ではもっと早く
やめたと思います。土間が消え、石臼も姿を消しました。せめても自家でお餅をとの思い
でしょう、短期間でしたが電気餅つき機を使っていました。それから餅屋へ。私の家では
祖父母の代で伝統的な正月にまつわるあれこれを無くしていきました。
水流さんの感想文にある「コミュニティの餅つき」にはなるほどと妙に納得してしま
います。昔の慣習が、疎遠だと思われていた都会の人間関係の間に入り込んでいる、こん
な形で日本的なものが受け継がれ残されていくのか、という思いです。祖父母が当たり前
にやっていたことを父母はやめました。一つの家だけでは労力に限界があった、子どもは
都会に行って郷里を離れていますから。でも、日本の古いならわしは簡単には消えない
ようです。
佐々木さんのエッセイをきっかけに、思い出すことがたくさんありましたし、水流さん
の感想を加えて、なんだか日本文化論みたいだと愉快でした。ありがとうございました。
初空に飛龍を見たし皿洗ふ 酔子
photo: william r. tingey
初釜のたぎちはげしや美女の前 西東三鬼