三木句会ゆかりの仲間たちの会:聖木翔人著『70歳からの 俳句と鑑賞』より | sanmokukukai2020のブログ

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   三木句会ゆかりの仲間たちの会:聖木翔人著『70歳からの 俳句と鑑賞』より

 

 

    みなさま、健やかに新年をお迎えになりましたでしょうか。

    能登半島地震に取り乱していたら、追いかけるようにあわや大惨事の飛行機

   事故。地震でお亡くなりになった方々、ご家族の方々の無念、海自は能登に食糧

   などを運ぶための飛行だったと知れば、尚更切なさが募ります。心からご冥福をお

   祈りするばかりです。

    2023年3月の閉会以降、みなさまから投稿をいただきながら月3回の更新をペース

   にブログを継続してきました。投稿してくださった方々に、改めてお礼を申し上げます。

     このブログを続けてゆくには、これからもみなさまのご協力をお願いします。今年は、

   読むだけでなく、参加してみようと思ってくださると、すごくすごく嬉しいです。

    今月から新企画として、三木を陰から応援してくださっている聖木翔人さんのご著書

   から、鑑賞文を転載させていただくことになりました。そのうちご自分の1句が載るかも

   しれませんね。

    感じていることを素直に言葉に置き換える俳句鑑賞は、けっこう難しい作業です。

       どこまで想像を膨らませて、深く広く、その句を読み解けるかどうかです。好き!と

   思った句に出会ったとき、ちょこちょこっと感想を書き留める習慣も、作句の助けに

   なるかもしれません。 (飛鳥遊子)                         

 

 

 

     『70歳からの 俳句と鑑賞』 白月集抄(「白」299号)より

 

 

                                  立春や誰もしらない道をゆく    有馬英子

 

    こういう句は、真っ直ぐに読んで作者の気持ちを真っ直ぐに受け止めることでしょう。

   季語は「立春」でなければなりません。暦の上では春だがまだまだ寒い。その寒気の中

   にもかすかに春の兆しが感じられるときです。長く感じられた冬を乗り越え、毎年同じ

   ようにくるのだが、今年2019年このときは、ある強い気持ちのみなぎりと張りを感じた

   のです。

    「立春や」と言い切ったところに万感があります。そして作者は向こうに、ほかの

   誰も知らない道をみて、その道へ歩き出そうと決意するのです。「私」が「私」として

   生きてきた、それを確かめ、そのうえで新しい道を切り開こうとするのです。

    立春を過ぎて春風が吹いてくるころ、虚子は「春風や闘志いだきて丘に立つ」とあか

   らさまに直接に「闘志」を詠みました。これと並べてみても、この句の静かで控え目

   ではあるが、強烈な秘めた闘志と意欲を深く感じ取ることができます。

 

 

 

 

           唇に花訪のうて去りにけり    小泉水玉

 

    この句をひらがなで表記すればこうなります。

     くちびるにはなおとのうてさりにけり

 

    桜の花、今年は早々に満開となりました。だれでも一度は青い空の下、その花を仰ぎ

   見ながら歩いたことでしょう。誰もが風に吹かれて落ちてくるひとひらの花びらを唇に

   うけたことがあるでしょう。この句は、そのごくありふれた風景を詠んだのですが、

   「訪うて去りにけり」の措辞が出色なのです。

    これを「唇に触れ散りにけり」では深みはうまれません。この句は「花」を「ひと」に

   置き換えて読むことが出来ることによって、平明極まりないにもかかわらず、とてもすぐ

   れた俳句になりました。まるで人と同じように「花が唇を訪ねてきて、なにかを告げる

   かのよう、去っていった」というのです。これによって、大きく広々として風景とともに

   心の揺れや、ひとの思い出までも想像を広げる句になりました。

    桂 信子に「青空や花は咲くことのみ思い」との句がありますが、なんのなんの、花は

   ひとひら散っても、その一枚が人の心の扉を打ち、開かせるちからを秘めているのです。

 

 

    

 

 

                                                                                  i. ida

                  われいずこ自画像描けず年明ける   聖木翔人