三木句会ゆかりの仲間たちの会:水流さんから遊子さんへ
✉️遊子 さま
成清正之さん、素敵な俳人ですね。
初めて知る名です。
私が知り得る俳句はここに挙げられた数しかありませんが、それでも充分魅力が伝わり
ました。
遊子さんの仰るとおり、岩岡教授の「著者は内なる心象と詩を通して対象と一体化する。」
という言葉が私にも響きます。
私の好みを言えば、写生句より心情を中心としてそれを映し出す対象を重ね合わせた句に
惹かれます。
実景を真っ直ぐに見つめ詩に表す写生句は、実景に心情を潜ませるということであると
すると、私の経験値ではその心情を掬う力が乏しく、鑑賞し切れていないもどかしさを感
じる時が多々あります。
成清さんの句を読むと、実景と心情の境目がない自由さを感じ、さらに外へ外へと私も広
がれる余白に心地良い読後感。
捨てるかも知れぬ芒を持ち歩く
捨てるかもしれない芒→捨てるであろう芒→片方だけのピアス→捨てるであろうピアス=
いっとき惹かれたものとの別れ。
そんな風に私にもその境地を与えてくれるようで、すとんと心に落ちました。
対馬氏の取り上げた句の中では、以下の二句が好きです。
涸れ川に石蹴ってゆくまだ闘える
不透明なままでいたくて酸葉噛む
成清さんの込めた意思がストレートに現れていて気持ちいいです。
遊子さんと成清さんの出会いは唐突であったかもしれませんが、実は成清さんと対馬さん
が同じステージにいらしたことを考えれば、
遊子さんの目指す世界はずっと前から存在したのでしょう。
ご紹介、ありがとうございました。
樹 水流
photo: h. tsutsumi
空澄めばぎんなん泥棒現れる 成清正之
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