三木句会ゆかりの仲間たちの会:太田酔子さんのエッセイ | sanmokukukai2020のブログ

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    三木句会ゆかりの仲間たちの会:太田酔子さんのエッセイ

 

 

    「あれ(A・R・E)」の魔力

 

    2023年の秋、9月、10月そして11月5日まで、さて、なんと表現すればいいか、

           毎日が充実していたと言えばいいだろうか。充実と言えばもちろん、読んでいた本

   を閉じて、パソコンの電源を落として、しょぼしょぼした目を瞬いて仕事を終える

   ときの充実感もある。無駄に過ごさなかった時間を充実と感じる、この感覚を「ピュ

   ーリタン的な気質」ならではのものだと思っている。ピューリタン的と言ってもキリ

   スト教的ピューリタンではない。私の生まれ育った時代(環境)が「勤労」こそに

   最高の価値を置いていたという意味でピューリタンなのである。

    しかしこの2ヶ月余りの充実感は少し違う。ひたすら甘美な、起伏の激しい充実

   感だった。お分かりの方もいるだろうか。38年ぶりに阪神タイガースが日本一にな

   ったのだ。筋金入りのファンというわけではないので少しきまりが悪いが、岡田彰布

   氏が監督に復帰したことをきっかけにファン気分が再燃した。38年前、2塁手で5

   番を打つ選手だった岡田監督は、歳月を経て独特のキャラクターをはっきり示す指導

   者になっていた。試合後のインタビューでの言葉の滋味といい、ぼーっとしているか

   に見える裏にある相当の思慮といい、今の時代のリーダーではないかと思って見て

   いる。

    38年ぶりの日本一の前に、18年ぶりのリーグ優勝があった。このエッセイにつ

   けたタイトルは、岡田監督の巧みな工夫で、シーズン当初から「優勝」という言葉

   を使わず「あれ」を目指すと言い続け、チームの年間のスローガンになり、選手さら

   にはファン、報道陣にも一気に浸透していった。「A・R・E」の効果は絶大だった。

   「あれ」はコミュニケーションの王道だった。スタッフと選手間の距離をちぢめ、

   チームの結束に繋がり、ファンとの仲間意識を醸成し、笑いによってストレスの解消

   にもなる。隠語めいて仲間を確認し合う効果もあった。

    「あれ」はまた別の面からも興味深い。言語ははじめから既成の意味の世界を

   引きずっていて、それを使用する人間をがんじがらめに縛る場合が多い。意味の核

   というものが明示されている「優勝」の場合、それは情報的・現実的意味をのみ示

   している。明示性そのものの言葉「優勝」に対して「あれ」は優勝を含意的に示す

   言葉である。情報をのみ伝達するのでなく非現実的で知的意味と言ってもよい。

   言葉は時に呪術的な力を持つ。言葉の魔力と俗に言うものである。単なる記号とし

   ての「優勝」という言葉がオートマティックに単一のものを指し示すのに対して、

   「あれ」は記号のオートマティズムから解放されて曖昧な夾雑物をも含んだものと

   して機能し、まるで日常語の域を脱してしまうほどの効果を生んだ。

    いささか牽強付会に聞こえるかもしれないが、多くの人が「あれ」を面白がっ

   たことは確かである。ともあれ、この秋はなかなかに快い疲れとともに終わった。

   筋金入りの阪神ファンである作家の小川洋子さんは、「阪神らしさ」とは優等生で

   はなくちょっとダメなところであって、だから次の日本一がまた38年後でもいい、

   阪神らしくやってほしいと言う。負けたら激しく罵倒するが次の瞬間には「明日は

   勝ってくれるやろ」と希望を持つ、懲りない阪神ファンは遊びの上手な輩である。

 

        

 

 

 

            

                             photo: y. asuka

                空中に監督その先にシリウス   太田酔子