三木句会ゆかりの仲間たちの会:有馬英子第一句集『深海魚』より
正気では渡してくれぬ蛍川
小心を隠していたり兜虫
熱帯夜どこを開けてもがらんどう
魔の谷を駆け下り来る霧想かな
ポケットの鬱つかみだす秋日和
この世では母にはならぬまんじゅしゃげ
秋天や故郷へ向く馬の耳
霧を追う命の限り霧を追う
これで英子さんの『深海魚』に掲載された268句全てをご紹介しました。この後は、
英子さんの師である有冨光英氏による「序」を、数回に分けて掲載します。英子俳句をよ
り深く鑑賞するときの一助になると思います。
『序』
英子さんとの出会いは十六年前、昭和六十年も終わろうとする十二月、パリのルーブル
美術館の中でだった。と書くとドラマの一齣のようで何やら意味あり気だが、実はパリ・
ローマ周遊旅行の仲間としてだった。この旅行、普通の観光ツアーとは一寸違う。同行者
は全員が元陸士の同期生とその家族で、毎日がミニ同窓生会という発案企画した旅行会社
の社長自身も同期生だった。因みにこの年が第二回目で毎年続いている。
英子さんはこの旅行に参加された同期生有馬喜夫(のぶお)氏ご夫妻の令嬢である。
海外ツアーならば成田を出発する時に紹介されていた筈なのだが、見聞にとりまぎれて英
子さんとは言葉を交わす機会がなかった。パリでの一日、ルーブルの長い廊下、階段を車
椅子の上から熱心に見学している女性に目が止まった。それが英子さんであり、丁寧に車
椅子を押されているのがご両親だった。展示品を一つひとつ凝視する英子さんの真剣な姿
に、しばらく私の心が奪われたのを覚えている。英子さんと私との出会いがルーブル美術
館だった、と言えるのはこの時の感動が強かったからである。
同期生の家族ということで、旅行の後、無理なく自然にわが句会の一員となった。それ
から十五年、彼女の詞芸に寄せる情熱は並大抵ではなく、努力にはいつも敬服していた。
今や、「白」にとっては無くてはならない存在であり、俳壇でも注目される作家の一人に
成長した。
十五年を節目として句業をまとめたいという希望を聞き、双手を挙げて賛成した。英子
さんにとって一里塚となることは間違いない。(つづく)
painting & photo: David West
母の血父の血生かされてゆく霧の中 有冨光英