三木句会ゆかりの仲間たちの会:原宿今昔
原宿今昔
原宿美都子
いつも通る道の一角で工事が始まったけれど、前に何が建っていたか、たいていの場合、
どうしても思いだせない。記憶なんてずいぶん頼りないものだ。
主人の建築設計事務所は、JR原宿駅・竹下口から3、4分、広い通りに面して建つ戸建住
宅を借りていた。卒業して設計事務所で働き、その後独立して、以来40年近く借りていた
ことになる。
しかし、高齢だが元気だった大家さんが急に亡くなり、相続人の方々の意向で、敷地の
奥に建つ大家さんの家ともども、事務所も取り壊し更地にして売られることになった。
1964年の東京オリンピックの際は、国立競技場へと続く家の前の道路を拡張するために
曳家をしたというこの家は、建築家の間ではよく知られた方が設計した家で、暖炉があっ
たりとおしゃれ。外観は平屋に見えるが、奥の庭に面して窓があり2階がある。事務所に関
わった歴代の所員にとって、それなりに思い入れがある建物だったようで、壊される前に
開いたさよならパーティには、入りきらないほどのOB、OGが地方からも駆けつけてくれ
たのが、建物にはせめてもの慰めになったかな?
さて、いよいよ取り壊しのため、囲いがめぐらされると、建物は事務所として借りる前
から、何10年もそこに建っていたものの、よく前を通っている方でも、何が建っていたの
か思い出せる方はきっと少なかったはず。記憶ってほんとに頼りない。そして、あっとい
う間に飲食店がいろいろ入ったビルに大変身!
近所のマンションに引っ越した私たちも、ランチ処が増えるかと期待したものの、対象
は若者のようで、昔の若者である我らには居心地にやや難ありのランチ処であった。
原宿駅は、年始の明治神宮参拝の人出に対処すべくホームを大改造しつつ、トンガリ屋
根のメルヘンチックな駅舎も壊され、普通のビルになり、まだまだ工事続行中。駅前の古
いアパートなども、軒並み豪華な商業ビルに建て替えられて、竹下通りと周辺は、コロナ
前とほとんどかわらず、子供と若者と外国からの旅行者でごった返している昨今。こうし
て、人も街もダイナミックに移ろっていくさまを体感する日々である。
photo: m. harajyuku
迷路めくセピアの記憶夏の夕 原宿美都子