三木句会ゆかりの仲間たちの会: 関根瞬泡著『芥川』よりエッセイ・シリーズその2 | sanmokukukai2020のブログ

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   三木句会ゆかりの仲間たちの会: 関根瞬泡著『芥川』よりエッセイ・シリーズその2

 

 

   又三郎やーい

 

    花巻農業高校の林越しに赤い夕日が奥羽山脈の彼方に落ちて行く。このあたり、一面の

   田園風景、その中をゆったりと北上川が流れていた。かつて、あの宮沢賢治が、羅須地人

   協会を設立し、自給自足の生活をしながら、新しい農民文化を追い求めて、その拠点とし

   ていた建物もここに保存されている。農業高校の体育館か何かの屋根の上には、遠くから

   も見えるような大きな字で、「イーハトーヴ」と書かれていた。

    「イーハトーヴ」。いかにも賢治さんらしい命名の仕方である。賢治さんご自身の説明

   によると、「イーハトーヴは一つの地名である。しいて、その地点を求るならばそれは、

   大小クラウスたちの耕していた、野原や、少女アリスがたどった鏡の国と同じ世界の中、

   テパーンタール砂漠のはるかな北東、イヴァン王国の遠い東と考えられる。」という事

   だ。何やら、私にはチンプンカンプンで意味がよく分からないが、そこのところが、なん

   とも賢治文学の魅力となっているのだから、本当にすごいという他ない。

    私は、これ迄、宮沢賢治といえば、根っからの農家の人で、その作品といえば、「雨ニ

   モマケズ、風ニモマケズ、、、」という詩と、「風の又三郎」や「銀河鉄道の夜」という

   童話の題名くらいしか知らなかった。しかも、赤面の至りであるが、それらの童話の話の

   中味も知らなかったのである。しかし、それでいながら、ずうっと、宮沢賢治の唱える世

   界には、なんとなく共鳴できるような部分を抱いていた。

    確かに、冬の暗い空からヒューヒューと鳴る風の音や、夏の激しい落雷の光など、単な

   る自然現象とは思えず、何かがその奥にひそんでいるのではないかという気にさせられる

   からだ。子供の頃、墓場の方から人魂が白金色の尾をひいて飛んでくるのを見た事もあ

   る。

    ところが、賢治さんは根っからの農家の人ではなかった。家は質屋などを営む商家であ

   ったが、盛岡高等農林という学校で、主に地質学を学んでいるうちに、毎日、目のあたり

   に見る大自然の開墾や土地改良、農業改革、さらには農業文化の向上などに力を注ぐよう

   になり、それに、何より、自然に対する特異な感覚と詩的な表現力が迸りでて、止まらな

   かったらしい。ついには、花巻農学校の教職をもなげやり、先程述べた羅須地人協会を設

   立し、自給自足の生活を始めたのだった。「下ノ畑ニ居リマス」などと黒板に書きなが

   ら、農業の改革に努力し、かたわら詩や童話を作成し、音楽に親しみ、演劇なども催して

   いたらしい。協会に集まってくる人たちに農芸化学や土地改良についての講義も行なって

   いたとのことだ。

    純粋な大人だったのだろう。他人のためとなると自分のことなど忘れて立ち働くようで

   あった。また、何かにとりつかれると、どこまでもそれを追求して止まないようでもあっ

   た。そのため、体調を崩すことがしばしばで、とうとう、37歳の若さでこの世を去ってし

   まわれた。死の直ぐ前にも、訪ねてきた農家の人と面会し、肥料や農地の改良などについ

   て、いろいろとアドヴァイスをしていたそうである。

    それから七十年以上がたつ。その当時はほとんど無名に近く、無念のうちに息をひきと

   った賢治が、今、これほどまで有名になり世界中の人々から慕われるようになるなどと

   は、あの、美しい、赤い夕日も知らなかったに相違ない。

                                  (2005年10月)

 

 

 

              

                                       photo: y. asuka

                                              落し文残して風の又三郎   関根瞬泡