有馬英子 第一句集『深海魚』から
初秋の端をつかんで寝返りす
夢せがむ一からせがむ鉦叩
十月の重たすぎるはこの頭
煮ても焼いても馬車にはならぬ南瓜かな
秋蝶や忘れたふりの恋心
落葉道きれいな嘘の積み重ね
手品師の手からあふれるクリスマス
わが胸で木霊に変わる母の咳
寒星を並べ直して危機回避
花枇杷や誰に電話をしても留守
地球儀に日本を捜す寒夜かな
被災地に続く空なり寒御空
ゆきずりの春の光で荷をほどく
たちまちに春塵となる一句かな
風船をしっかり持っていて下さい
行春や上目遣いの深海魚
どくだみの清く正しくはびこれり
白牡丹近づくほどに燃えやすく
世紀末通り過ぎれば蛇の殻
青薔薇の咲くところなら這ってでも
『彼岸の書』 村上華岳
『近代藝術家乃書』より
彼岸の書
村上華岳は、近代日本画の最高峰であると同時に、最も難解な画家といわれる。
私が美術の道に進むきっかけとなったのは、村上華岳の「太子樹下禅那」であった。私
は二十一歳の時、悉多太子が菩提樹下で座禅修行する姿を描いたその絵に、身震いするよ
うな衝撃を受け、立ち尽くした。四十年を経たいまでも、私にとって最も重要な作品であ
ることに変わりはない。
「私は静けさを最も愛する人間である。静けさの中にほんたうの動を感じるのだ」とい
う華岳は、生前、画家としての信仰告白ともいえる『画論』を記していた。そこには並々
ならぬ書の修練を知ることができる。しかし書を観ると、不思議なことに先人の影響をあ
まり見出すことはできない。華岳の書には、想いだけが込められ、まるで魂が彷徨ってい
るような透明感がある。
この「心即是佛 佛即是心 心佛如如 且古且今」という覺心聖語には、梵字が刻まれ
た朱印が中央にあり、脇の壺印が従者となり独自の世界をつくっている。世俗を離れ、線
の行者といわれた華岳の、彼岸の書である。
梶川芳友 『近代藝術家乃書』より