有馬英子 第一句集『深海魚』から
まんまるの月のしずくで手紙書く
秋霖という衣着て静かなる
誘惑の主をたどれば銀木犀
実ざくろや胸に埋もれる不発弾
野良猫の食べこぼしたる赤のまま
丸い背が寄り添っている小春かな
少年に会えずに帰る落葉坂
干柿に歯ごたえのある里心
星一片ワインで流し込む聖夜
大年の人差し指を深爪す
裸木のまわりで風の加速する
啓蟄や二本の足では足りぬわれ
早足で君は二月のチューリップ
身代わりの夢を飾りて雛祭り
春の日の和らいでいるデスマスク
春雷や記憶の底に手が触れる
葉桜の日に日にあふれ思い出す
梅雨入前膝にずっしり父の骨
父の日の今年は空を仰ぎ見る
屋上に恐竜吠える炎暑かな
『可必館』 奥村土牛
『近代藝術家乃書』より
初心の書
奥村土牛は昭和の日本画壇最後の巨匠である。
寒山詩「土牛石田を耕す」より雅号を取り、百一才の天寿を、黙々と画業一筋に捧げた。
彼はまた、遅筆の画家として知られる。それは寡作という意味と同時に、制作における
運筆の速度にも当てはまる。
土牛の作品を見ると、対象を入念に観察し、描くものと自分とがひとつになるまでデッ
サンをする膨大な時間を感じることができる。一筆一筆、紙の上で何かを掘り起こそうと
するかのように丹念に色を重ねていく。無限の反復の末に完成した作品には、初心の感動
がよみがえり、凝縮された生命と洞察力が観るものを内面から揺さぶるのである。
晩年、祇園の舞妓を描くため京都に滞在し、何必館にも足を運ばれた。館名である「何
必」という言葉に興味をもたれ、「何ぞ、必ずしも」と定説を疑う自由な精神を持ち続け
たいという私の願いであることを話すと、深く共感され、数年後、私の元にこの書が届け
られたのである。
未完の美を蔵す奥村土牛の書筆は、鍛え上げられた深い思想を、凛とした枯淡の線に映
している。
梶川芳友 『近代藝術家乃書』より
