有馬英子 第一句集『深海魚』から
風笑うつられて笑うねこじゃらし
鶏頭の耳まで届く鼓動かな
むきだしの魂抱え冬日落つ
いちまいの枯葉を握りつぶしたる
十二月腰を浮かせて話しけり
いとなみを断ち切る寒の人さらい
自画像に目玉三つの二ン月
ものの芽の一語一語を盗み聞く
春月を食べ残したり銀の匙
木瓜咲いて三人分の笑い声
『人生無根蔕』 熊谷守一
『近代藝術家乃書』より
天地自在の書
熊谷守一は近代洋画壇のなかで特異な輝きを放つ画家である。
豊かで深い人間性に惹かれ、いまも多くの人々から敬愛される熊谷さんの油彩は、太い
輪郭線のなかに、鮮やかな色彩と生命力が満ち、観るたびに新しい発見がある。それとは
対照的に、にじみやかすれを生かした、飄々とした墨書は、無一物の境地を感じさせ、文
化人やコレクターの注目を集めてきた。
私は生前、豊島区千早町にある熊谷さんのアトリエを足繁く訪ねた。「絵というものは、
私のものの見方なのです」と語った熊谷さんの一日は驚くほど静かなものであった。庭先
に寝ころび、昆虫や石を眺め、そして夫婦で碁を打ち悠然とした時間が流れていく。
数え年九十八歳、最晩年に揮毫して頂いた「人生無根蔕」は、陶淵明の漢詩の一節で、
人の命には、木の根や果実の蔕のようなしっかりした拠り所がなく、まるであてどなく舞
う塵のようなもの、という意味である。この書には、一度きりの人生を天地自在に生きた、
熊谷守一の生涯が映し出されている。
梶川芳友 『近代藝術家乃書』より