三木句会が京橋から藤沢に会場を移して間もなくコロナ禍となり、以来、通信句会にせ
ざるを得ない状態が続いています。対面句会と通信句会の大きな違いは、選句の理由やい
かに読んだかの披露ができないこと、仲間の読みも聞けないことです。さらに、話し合っ
ているうちに、思いがけなく新しい読みが開ける喜びに巡りあえないことです。それを埋
め合わせることができないかと<私の選んだ特選句>のコーナーを設けましたが、特選句
でなくても、お互いの読みを公開するコーナーがあってもいいかと思いました。不定期掲
載です。仲間同士の交流にもなると思いますので、みなさんも積極的に参加してください。
今回は、太田酔子さんが「俳句つれづれ」と題して鑑賞文を寄せて下さいました。2022
年6月からの1句です。
『俳句つれづれ』
俳句はいろいろ想像させてくれるからおもしろい。俳句は余白の言語表現であり、おそら
く書かれていない隙間が広いほど、密かな解読の喜びがある。一方、句を作るとき、余白
を残しても安心していられるのは季語の存在があるからとも言える。俳句の読者は同時に
作者でもあり、その結び目に季の詞がある、と言ったのは山本健吉であった。
住職に世俗の噂藤の昼 草野きょう子
句意は明らかです。明らかであるにもかかわらず、読んで想像をたくましくしてみたい
と思わせる魅力があります。住職と世俗の噂とは明らかに齟齬があり、そこを意図してい
ることも明らかですが、その齟齬を藤の花が柔らかく結びつけているところにこの句の幅
があるように思います。藤の花の紫色は「アンニュイ」を思わせる色、ものうげな、憂鬱
な色です。花房が風に揺れるところも物憂げです。実はずっと「藤の昼」を「藤の花」と
思い違いをしていました。「藤の昼」としたことで「ものうさ」がより際立ち、作者の考
えた選択だと思います。
この住職は、まだ若く、浮世のはかなさを知らず、仏の道を極めるために邁進するには
元気すぎる男性だと考えましょう。ここで言う世俗の噂は、色事と限定したいような気が
しますが、作者の意図は違うかもしれません。なぜ限定したいかと言うと、そこに季語藤
の昼が存在感を発揮します。色事を連想させる若い住職であれば、何かの事情で意に反し
て今の立ち位置になったのかもしれないと想像が膨らみます。そこに、若く活き活きした
表面と他人にはわからない内面の鬱屈があるかもしれません。
とかく世間から取り沙汰される住職と、藤の花とは、同じ要素を含まないとも言えます
が、全く関わりがないわけでもありません。俳句のいわゆる二物取合せの、柔らかい衝撃
がこの句を魅力的にしている気がします。
太田酔子
國分三徳さんが、今年3月の千葉県現代俳句協会俳句大会で、最高の賞である千葉県
現代俳句 協会賞、並びに秀逸を受賞されました。お知らせがすっかり遅くなりました。
おめでとうございます!!
千葉県現代俳句協会賞 案山子の言葉判る村長当選す
秀逸 満月を貰い途方に暮れている
photo: y. asuka
鳥渡るなり戦場のあかるさへ 堀田季何