有馬英子の俳句 | sanmokukukai2020のブログ

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   有馬英子 第一句集『深海魚』から

 

   ふいに秋飴玉ひとつ飲みこんだ

  

   置場所の違えば別のシクラメン

 

   一茶忌の雀や弾め精いっぱい

 

   癒ゆるきざしや寒木瓜の見え隠れ

 

   沈丁花ぽつぽつ昼の星となる

 

   脳みそのグラリとずれる春の地震

 

   花片のひらりと車椅子たたむ

 

   麻痺の手の春に抵抗し続ける

 

   つつじ散りまたも結論さきおくる

 

   鉄線花夕べの夢も歩けたり

 

 

                                                    『山にゆきて何をしてくる山にゆきて

                    みしみしあるき水のんでくる』

                                                                                                       高村光太郎

                         『近代藝術家乃書』より

 

 

   刻意の書

    高村光太郎は、幼少の頃から、父光雲のそばで木を彫ることを覚え、ロダンに傾倒し、

   彫刻家としての思考を確立した。一方、ヴェルレーヌら象徴派の詩人に共感し、詩作にも

   意欲的な表現を模索していった。自然と生の本質を追求した詩集『道程』や、運命的な出

   会いから、愛と哀しみの深淵を綴った『智恵子抄』は、半世紀を経てなお読みつがれる古

   典となっている。

    その彼が辛辣ともいえる書論を発表してきたことは、あまり知られていない。彫刻を基

   礎とした書道理論は、やがて独自の書風を生み出すのである。

    光太郎の筆跡には、鑿で木を彫り刻んでゆく感触がある。具象をどこまでも彫り続けて

   ゆくと、忽然と具象でないものが立ち現れる。空襲でアトリエを失い、岩手県の山村での、

   七年間におよぶ貧しい山居生活を経て、書というものを発見したのではないだろうか。

    「山にゆきて何をしてくる山にゆきてみしみしあるき水のんでくる」というこの書は、

   現実を俯瞰するおおらかさと、大地に根差した生命力が息づいている。

 

                           梶川芳友 『近代藝術家乃書』より