こんばんは。
日本×アフリカ専門国際恋愛トラブル・国際離婚解毒カウンセリング『Sankofa 美心』まりこです。
前々回からの続きです。
今回の記事から大里ちゃんのライフチャート(=人生グラフ)を元に、生い立ち回想記として記録していきます。
生い立ち回想記①
0〜8歳
まず取材時に人生グラフを書いてもらった📈
それがこちら
その日夜中2時に大雨にやられながらホテルに戻ったために、ぐちゃぐちゃであります😂😩
なのでざっくりとポイントだけ
✔️保育園3回転園
✔️小学校4回転校
✔️一番精神が安定していたのは8歳(5〜8歳、約3年間)
私が彼女の立場なら、幼少期から思春期にかけての7回の転校、というのを聞いただけでもう鬱病にでもなってたかも
0歳、ナイジェリアに生まれる。
1歳、そのままナイジェリアに住む予定だったが諸事情により両親共に日本に帰国。
3歳から父が埼玉、母が東京へ。
(このとき離婚に至ったのか、ただの別居だったのか今もわからず。)
ハーフ=いじめ
というトピックが必ず浮上する中、大里ちゃんの場合は幼少期より〝ハーフであること〟への葛藤よりも〝この先に起こる家庭の事情〟の方が精神疾患に影響していると考察しています。
「何で誕生日にそれ言うかなぁ?」
と母と父が口論になった、というプチトラブルも発生。
その時からきっと〝空気読むセンサー〟みたいなのが搭載されたのかもしれないね🥲
大里ちゃんが生まれた1996
あの頃はHipHop全盛期
私も短大あたりからこの世界にどっぷり浸かっていたのでリアルタイムで思い出せる懐かしい時代のあれこれ。
父が秋田で服屋をしていたのが大里ちゃんが4-5歳と想定すると、2000年代初頭の正にブームの時代。
あの全盛期に火事に見舞われ閉店とは父もかなり波瀾万丈…。
とはいえこちらの記事は子供にフォーカスしていますので、再び視点を戻します。
次回以降の予告。
8歳以降しなくても良い苦労を強いられ、子供らしい子供時代を過ごせなかった。
というドラマがこの後の大里ちゃんに降りかかってくるのです。
つうか母が専業主婦でいられたのも時代なのでしょうか。例えば今、途上国の人と国際結婚して妻が専業主婦なんてちょっと考えられない。
これまで《日本人妻》の立場での記事を多く書いてきましたが、ひとたび子供目線で取材すると見える世界が全然違う…というのを私自身が感じており、ハーフの方々だけでなく親御さんにとっても重要な発信となることを祈る。
という個人的な想いも込めて。
続く。
人生初の本執筆中✍️応援よろしくお願い致します。
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