日本が神道という風呂敷のような生活習慣の上にいろんな宗門が包み込まれていったからだ | 産経新聞を応援する会

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お坊さん120人が靖国神社に参拝!シールズのバカ者よ、その意味を考えろ!

 
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 昨日靖国神社に宗派を超えた仏教者たち120人が英霊の法要を行ったと産経新聞は伝えました。

 素晴らしいことですね、戦後70年特にこの30年ほど英霊のお鎮まりになる靖国神社は醜い政争の道具にされ、中韓の歴史カードの切り札として使われて、本来の靖国神社の姿を国民の目に歪める行為が多々行われてきました。

 それを払しょくするような今回の快挙です。

 拙ブログで何度も書いておりますように、明治維新まで日本は神仏習合によって国を安らかにし、人心を健やかに育ててきました。

 東京の方なら、豊川稲荷神社に行けば神仏習合の名残が十分に残っていますし、萩の伊藤博文公が幼少時代過ごした円政寺では境内に神社とお寺が現存しております。

 福岡の観光名所の一つである太宰府天満宮も、明治までは天原山安楽寺というお寺の中にあるお宮でした。もともと菅原道真公の遺体を乗せた牛車が安楽寺の前で座り込んで動かなくなったために、ここが道真公の遺志かということでご遺体を埋めて隠しました。

 なぜなら流罪で亡くなった罪人ですから亡くなると首を都に送り、検非違使が首実検をして死を確認せねばなりません。しかし、それではあまりにも道真公が不憫だと思ったおそばの味酒安行が道真公の御遺体を隠し埋めたのです。

 数年後、京で天変地異が続くために道真公の祟りと畏れられ、魂を鎮めるために墓を作る許可が出たために、墓を作りそれに屋根で覆って庿(びょう)を建てます。廟は皇室関係の方に使われる言葉で、臣下の道真公ですから庿が正しい使い方です。その後にその場所に建てられたのが現在の太宰府天満宮の本殿なのです。

 キリシタンの黒田官兵衛も福岡城ができるまで境内に如水軒を建て住んでいました。黒田官兵衛が熱心なキリスト教者であったことは葬式がキリシタン式で行われ、常に愛用のロザリオを一緒に埋めたとの記述が残っていることからわかります。

 しかし、なぜ仏教の寺でお宮のある太宰府でキリシタンの官兵衛が寓居にしていたのでしょう。

 それは日本が神道という風呂敷のような生活習慣の上にいろんな宗門が包み込まれていったからだと考えると説明がつくと思います。

 古事記では造化神である天之御中主神(あまのみなかぬしのかみ)らは、お隠れになります。一神教の神様であるヤーウェのようにそこにいて、自分だけを崇拝せよとは言わないのです。

 だから古代から日本は入ってくる教えにとても寛容でした。

 仏教も儒教もキリスト教も傾聴に値すると思えば何でも受け入れてきたのです。

 キリスト教を迫害した?それは宣教師がポルトガルの侵略の手先となっていることや日本人を奴隷として海外に売り飛ばしたりしたこと、さらに寺や神社を壊し、先祖伝来の墓を暴くなどの乱暴狼藉をはたらいたために今まで日本人が経験したことのなかった宗門による大規模な争いに嫌ったために、豊臣秀吉が宣教師の追放や徳川時代に入って天草の乱などを経て厳しい禁教令になったのです。

 もし、当時のキリスト教が穏やかな布教をしていれば、神道や仏教などを同じように日本国内でも広まったと思います。

 しかし、ここの歴史は教科書では触れられず、いかにも日本がキリスト教を弾圧した未開の国のように表現されていることが多く、国内のキリスト教の教会の多くは韓国のキリスト教会と強いパイプを持っているところが多く、反日の温床になっているといってもあながち間違いではありません。

 靖国神社の総理の参拝にケチをつけるのもキリスト教団体ですし、キリスト教本来の教えである「汝の隣人を愛せ」という意味を理解していないのではないかと思う次第です。

 ちなみにここでいう「隣人」というのは隣に住む人のことではなく、近くにいる異民族という意味であり、『争わないでみんな仲良くしよう』というイエスのおおらかな教えが現在においては曲解され、争いごとの種になっているとしか思えません。

 シールズの奥田愛基のお父さんは北九州の牧師であることはみなさんもご存知だと思います。ホームレス支援などをしている人ですが、完全に左系の人です。

 誤解の無いように言いますが、キリスト教の牧師でも本当にイエス様の言葉に忠実に教えを説かれている方は大勢いますし、私の友人にもたくさんいます。だからキリスト教がすべて悪いとは言っていません。

 でも、教会で憲法9条や今回の安全保障関連法案など政治的事案を話し合う集会を持つところに通われる信者さんはそういうことは教会の本来の存在意義と違うことを運営委員会等で発言されたらいいのではないかと思います。

 今回のテロの犠牲者に祈りを捧げるとか、フランスの報復爆撃によって犠牲となった犠牲者に哀悼の意を捧げるのは意義深いものがあると思いますが、政治的集会をする場所に神の家が使われることに嫌気がさして私も教会へ通うのを止めました。

 学生時代から西南学院大学の横にある西南教会の英語の夕拝にはできるだけ参加して神の声を聴くようにしていたのですが、その場所で政治的な集会が行われたり、その告知があることを知り参加したりもしましたが、あまりにも反日的で先鋭的な意見が多かったのです。

 もちろん意見は堂々と述べましたが、これがキリスト教会の牧師たちの意見かと思うとその無垢な信者さんたちが可哀想になってきました。

 個人的に話すと愛国者の信者さんたちも大勢おられるのですが、本音と建て前を使い分けられ、自分の所属する教会への忠誠を中心に置いておられるようでした。これも日本人の美徳の一つなのですが、なかなか人と違った意見が言えないというところです。

 話が大幅にそれました。

 仏教も浄土真宗や曹洞宗の一部で反日的な活動が見られます。

 それは永年神仏習合という彼我を認め合い、衆生を救うという本来の目的のために信仰が存在するという意義から大幅に逸脱しているものとみられます。

 その点においても昨日の仏教者による靖国神社への参拝は素晴らしいものであり、これをマスコミは大々的に海外に報道するのが日本の国益と叶うと思います。

 フランスの一部の新聞が今回のテロリストを「カミカゼ」と呼んだそうですが、一神教の彼らの多くには英霊の方々の崇高な精神は理解できません。

 キリスト教でもイエスが自分の命を捧げて人々を救ったことが教義の中心となっているにもかかわらず、個人の宗教になっているためにその教えを十分に理解できないのです。

 キリスト教者で特攻隊の英霊の方々の行為が理解できる人は、キリスト教本来愛する人のために自分の大切なものを差し出すというイエスキリストの愛を理解できている人だと思います。

 そういう方もたくさんおられますが、まだまだ理解が足りていません。

 シールズの若者の不勉強さは一目瞭然ですし、一部の高学歴の人だけが初めクローズアップされていましたが、彼らの多くはそんなに本や話をきちんと理解することができない人もいることが露見しました。

 「彼らと共に選挙を!」という政党は誰のために何のために政治権力を持とうとしているのでしょう?

 大阪の自民党府連は共産党と連携することに自己矛盾を感じないのでしょうか。

 橋下氏を負かすのが目的となっており、本来の政治の存在意義を何も考えていないように思えます。

 地元ではないので、どちらがいいとは言えるだけの情報を持ちませんが、自民党の議員が共産党とタッグを組むことだけは到底理解ができません。

 自分たちの犠牲によって日本という国の未来を守ろうとして敵艦に果敢に攻撃をして散華された英霊の方々と罪もなく武器も持たない一般市民を巻き添えにするテロリストを一緒にすることは断じて許せません。

 外国には外務省やマスコミがその発信力を使ってその誤解を解くべきです。神社庁もその一翼を担って神道の考えが世界の平和に貢献できることを知らしめたらいいのです。

 でも、日本国内にシールズの若者やしたり顔のテレビのコメンテーターが英霊の侮辱をすることを耳にするのは断腸の思いです。

 戦後の日本の教育の在り方がここに問われていると思います。

 そして宗教界のあり方もここに問われていると思います。

 昨日参加された仏教者の方々の勇気と愛国心に最大の拍手を送りたいと思います。

 英霊の方々もきっとお喜びになっておられることでしょう。

 最後に、テロの犠牲となった方々を悼む集会がパリで行われた時に、フランス国歌を誰ともなしに歌い出し、全員が歌う場面がテレビで流されました。

 もし、日本がそのような場面ではどうするのだろうとちょっとうらやましさを感じたのは私だけでしょうか。

 ハレの場所で歌う国家とは別にきっと「うみゆかば」を歌うのが適切なのかもしれませんね。

 井上政典のブログ    様 より転載