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三橋先生のブログに 拙ブログの投稿が紹介されました
色の強弱は 三橋先生が編集してくださっています 感謝です

以下 転載  http://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/  http://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/

 

本日からわたくしはミャンマーに入っておりますので、ブログは「投稿ウィーク」になります。第二弾は、産経応援様。

 

なぜ地方は景気が良くならないのか・・地方に及びにくい財政政策と金融政策 前編(産経新聞を応援する会)

 アベノミクスで株式市場は好況感に盛り上がり、都市部においては百貨店などが売上を伸ばすなど変化が起こっていますが、地方では、本当に自分たちまで好景気が回ってくるのだろうかと、焦燥感とも、絶望感とも言える複雑な気分が蔓延しています。こうした感情は多分に気分的なものとも思えるのですが、気分的なものだけではない、本能によって嗅ぎ付けられた危機感がそこに存在するのではないかとも思えるのです。

 はたして、アベノミクスは成功しつつあるのでしょうか。現在、発動しているのは金融政策だけですが、金融政策に関しては、マネタリーベースを増加して、マネーストックを増やして行くことが目的ですから、第一義的目的からすると、三橋先生のおっしゃっている通り、株価が上がったとかは、将来の企業の純資産額の期待値であり、あまり重要なことではないはずです。株価が上がろうが、売買されようが、それは企業や個人の間のお金の移動にすぎませんから、マネーストックの増減とは関係ありません。単に期待先行のマネーゲームが起こっているだけです。マネーストックが増大するためには、金融機関による企業や個人に対する融資、つまり信用創造が行われるという前提がなければなりません。

 まさか、日銀は、信用創造の問題に目をつぶって、期待感だけで景気回復もしくは物価上昇に繋げようとしているわけではないでしょう。そんな子供だましなことを考えているとは思われません。事実、中小零細企業や国民は長い不況で疑り深くなっていますから、他人が株価上昇で浮かれているからといって、自分たちもお金が使えるようになると考えたりはしません。それくらいは、黒田総裁も解っているはずです。

 事実、金融機関は、準備金をじゃぶじゃぶにされて、企業や国民に貸し込まなければならない状態に立ち至っているはずなのに、相変わらず中小企業などへの融資は行われていません。確かに、金融円滑化法の終了に際して、政府から金融円滑化法と少なくとも同程度に、返済に手心を加えるよう指示され、回収は継続して緩和されていますが、しかし、それでも、金融機関が最も利益を挙げられるような金利と交換条件になっているとか、あくまで一定の水準の回収は維持されるとか、の状況は続いており、依然として、中小企業にとっては、あまり希望の持てる金融環境にはなっていないのです。つまり、「融資をしないで回収する」という、金融機関のこれまでのスタンスは変わっていないのです。

 地方は中小企業で成り立っており、中小企業が再生しなければ地方の景気回復もありません。その中小企業の資金調達がいまだに緩められていないのです。金融機関もしょせん金貸しであって、貸しただけのものが返ってくる担保がなければ貸さないという、金貸しの決まりきった「掟」があります。バブル以前は、土地がその担保の役割を負っていました。しかし、「政府および日銀がほとんど故意にバブルを発生させ、強制的に崩壊させる」という仕組まれたマッチポンプによって、土地担保の有効性は否定され、さらに地価下落政策が採用され、現在では担保の役割を負うものがなくなりました。借金をして株式を買うことは希であり、金融機関も、リアルな資産とは言い難い投機性の高い株式を担保に融資をしませんので、株式では土地の代役が出来ません。第一、地方で株取引に手を出す者は、小銭を持った一握りのもの好きに過ぎません。つまり、地方においては、株式は普遍的な資産とは言えないのです。地方において担保の役割を担える資産は「土地」しかありません

 土地を担保に差し入れて、金融機関から借りたお金は新しいマネーストックになります。金融機関が民間から土地担保を取り、貸付を繰り返すことで信用創造がおこなわれるのであって、株式や債権の取引で個人と個人で金銭貸借を繰り返しても、つまり、直接金融をいくら繰り返しても、マネーストックの中でお金が移動するだけですから、それは信用創造ではなく、マネーストックの増加にもなりません。

 これは、株価が上がっても一般の国民には関係がないが、地価が上がればほとんど全国民の財産が増えるという実感に裏付けられます。土地は、現金で取引されることは希であり、通常は金融機関からの借入金で売買されますから、これによって、金融機関のお金が財市場に出て来て、マネーストックが増えるのです。ここが、株や債権の取引との大きな違いです。

 地価が上がると、金融機関は土地資産を担保として信用しますから、信用創造そしてマネーストックは爆発的に増えます。すると、黒田総裁の念願である、金融政策が有効性を取り戻し、民間が債務を拡大し、投資や消費が拡大していき、GDPが増え、物価上昇率も2%くらいは簡単に実現するのです。キーワードは「信用創造」です。そして、信用創造は、「土地」を担保にしか起こらないということです。このところを、きびしく認識しなければ、経済学はただの空論にしかすぎません。

 東京などの大都市では地価が上昇するエリアもありますから、局地的に信用創造が起こっているようですが、その好景気感の連鎖は地方には及びません。事実、大都市以外の地方で地価が上昇する見込みは出て来ていません。それは固定資産税制が都市部の方が有利となるように出来ているからです(注※建物固定資産税)。地価下落政策は、正しくは「地方の地価下落政策」です。土地資産と信用創造の骨がらみの関係によって、「地方の地価下落政策」が採用されている地方においては信用創造が起こらないのです。これが、地方の景気が良くならない第一番目の理由です。

 しかし、今のところ、まだ政府は地価を上げようという政策は採用していませんから、黒田総裁は物価を上昇させる効果については他の何かの政策に頼っているはずです。その一つは、マネタリーベースを増大させたことによる円安の為に、食料や燃料といった輸入品価格が上がり、CPI(消費者物価指数)が上がることです。(日銀が採用している指標はCPIであり、コアCPIでもコアコアCPIでもありません。)黒田総裁が頼りにしている、もう一つは二本目の矢の財政政策です。黒田総裁はおそらく、いくら金融緩和してマネタリーベースを増やしても、円安で輸出型大企業の利益は増大しますので株価は上がるものの、地方の地価が上がる可能性はほとんど無いことから、「信用創造」が拡大するとは思っていないでしょうから、財政政策に依存する他力本願にならざるを得ないのです。

 

 産経応援様、ありがとうございました!

 Amebaの文字数制限をオーバーしてしまいましたので、明日に続きます。皆様、産経応援様のご投稿をベースに、「地方経済」について活発な議論をお願いいたします。


昨日に引き続き、地方経済をテーマに産経応援様。

 

なぜ地方は景気が良くならないのか・・地方に及びにくい財政政策と金融政策 後編(産経新聞を応援する会)

 

 財政政策は、金融政策とは別のルートでマネーストックを増やそうとする政策です。政府が、日銀が金融機関に増加した資金を借りて、公共投資を行うことで、政府からお金が直接企業や個人に支払われ、マネーストックが増えるのですが、その過程で、有効需要を創設し、乗数効果を発生させ、GDPを増大させます。

 これが順調に行われれば、財政政策としては合格です。金融政策は不調に終わるものと思われますが、当分の間、財政政策で食いつないで行くことが出来ます。しかし、地方が心配していることは、この食いつなぐべき財政政策でさえ、本当に地方で実行出来るのだろうかということです

 地方自治体は、依然として、三位一体改革以来の泥沼のような緊縮財政の真っ只中にあります。三位一体改革で、小泉構造改革は地方切り捨てを図りました。国庫補助負担金削減、地方交付税削減、税源移譲を3点セットで行うことによって、差し引き毎年5兆円とも6兆円とも言われる政府支出が削減されました。これに呼応して、地方財政計画総額は三位一体改革以前の平成13年で89.3兆円であったものが、平成18年度は83.1兆円、平成23年度は82.5兆円と、下がり続けている状況です。三位一体改革が地方自治の根幹ともいえる政策的経費に使える一般財源の逼迫につながっています。

 また、地方交付税制度による財政力の格差是正機能が弱くなり、小さな自治体ほど、三位一体改革の打撃が大きく、地方交付税減少が、そのまま自治体施策の後退・縮小・廃止など、住民生活に直接に影響を与えています。また、税源移譲された個人住民税は、移譲と共に税率が一律10%とフラット化されたことで、徴収業務をおこなっている市町村のみならず、住民生活にも打撃を与え、地方財政のみならず地方経済全体も疲弊しています。さらに、このような状況下で、公共事業にまつわる談合が悪とされ、熾烈な競争入札が善とされたことから、公共事業は原価割れを起こしている状態が続き、必ずしも、地方の建設業はアベノミクスの財政政策を信用しているとは言えません。つまり、積極的な財政政策が、地方住民に対しては、心理的な効果さえ与えにくくなっているということなのです。

 地方自治体としても、中央政府の行う公共事業を歓迎しているとは言えない状況もあります。それは、直轄事業負担金制度があるからです。中央政府が公共事業を行う場合、地方自治体は強制的に直轄事業負担金を支払わなければなりません。しかし、地方自治体は地方財政の逼迫から、あまり積極的に公共事業を誘致できないという状況になっているわけです。

 小さな自治体ほど、公共事業を「呼び込む」ことが困難な状況にあることに対して、これまでは、地方交付税を直轄事業負担金に充当するようなことも認められて来ましたが、やはり、直轄事業負担金制度は、自治体にとって長年持ち続けてきた不満であり、現在もなお納得できないものであることに変わりはありません。そして、アベノミクスにおける財政政策にとっても、依然として、直轄事業負担金制度が、地方に対する公共投資の実施の障害になる可能性を持っているわけです。

 公共事業は地方住民の利益になるために、受益者負担の観点から、または、日本国民の公平の観点から、地方が公共事業費の一部を負担する直轄事業負担金制度の廃止は不合理とする歴代内閣の意見もあります。しかし、この公平性は国政の場で確保すべきもので、国政から独立して、直轄事業負担金によって、地方財政の資金力の格差がそのままインフラ整備に反映されるほうが、全国で均衡した国土整備という観点からは、むしろ公平性は保てなくなるのではないかとも思われます。公共事業の誘致競争で、圧倒的に資金力のある大都市が有利となり、地方の小さな自治体は誘致運動すら出来ないといった、大都市対地方の格差がますます大きくなる恐れがあるのです。

 また、地方自治体の判断する優先順位に従って、公共事業の予算付けが行われるべきだとする意見がありますが、必ずしもその予算が道路、河川、港湾、ダムなどを含む必要はなく、かつての長野県の脱ダム宣言のように、ある特定の地方では公共事業が削られることになります。国家の大動脈に関するものは地方分権から除外すべきという観点もあるはずですから、短絡的に地方分権と公共事業の二つをリンクさせるべきではありません。また、公共投資はマクロ経済の運営に大きな役割を持っており、その観点からも、公共投資をミクロ経済の硬直的な地方自治体の予算にリンクさせることも大きな矛盾です。したがって、直轄事業負担金制度は、中央政府が全国に普遍的な国土強靱化計画を実施するための障害となるので、直ちに廃止し、代わりに、道路、河川、港湾、ダムなどはすべて中央政府の予算で行い、中央政府による国土の維持管理体制を完全なものとすべきです。

 マクロ経済としては、中央政府による自国通貨建て国債の発行は、借金という位置づけよりも貨幣の創造と理解すべきです。自国通貨建て国債では決してデフォルトはありません。デフォルトが有り得ないものを借金と定義するのは不合理です。そういう意味において、地方自治体は、貨幣を創造できませんから、マクロ経済政策としての財政政策を行うことは出来ません。そして、財政政策は国民経済の管理においては非常に重要な位置を占めるものです。財政政策とは公共投資のことであり、その公共投資を地方財政にリンクさせることは非常に不適切に思えるのです。

 以上のとおり、地方が景気回復しない理由を、まず第一の矢の金融政策面で、地方の地価下落政策が継続されており、そのため地方では担保不足から信用創造が起きないこと、つまり、金融機関が中小企業に対して融資できる状況になっていないこと、第二の矢の財政政策面で、いまだに、三位一体改革が地方財政および地方経済にダメージを与え続けており、それと共に、長年にわたる直轄事業負担金制度の問題が、地方における公共事業の実施にとって障害となっていることを説明しました。地方の田舎町からのご報告として読んで頂ければ幸いです。』

 

 産経応援様、大作をありがとうございました。

 特に、地方の皆様のコメントを期待しております。