私が先に申した通り、仏教用語の大半はパーリ語かサンスクリット語というインドの言葉に由来するので、それを調べて欲しいとジャパニーズ翻訳部にお願いしていました。1989年当時は現在のようにスマートフォンが無かったし、ジャパニーズ翻訳部には仏教学辞典さえ無かったのです。私は「よくこれで翻訳が出来るな!」と呆れていました。

私の願いを受けて、翻訳部のスタッフは日本にいる禅僧で和尚(OSHO)の弟子である方に調査を依頼しました。日本からのリサーチ結果が届くのに数か月を要しました。そして漸く、和尚の語源がサンスクリット語のウッパディアーヤ(upādhyāya)であることが分かったのです。

何が問題になったか説明します。
和尚(OSHO)ラジニーシは最初、アチャリア・ラジニーシという名前で登場しました。
アチャリアは中国語に音写されています。阿闍梨(あじゃり)です。

次に彼はバグワンと言う名前に変えました。
バグワンはバガヴァンとも発音されます。バグワン(バガヴァン)とは大神であるシヴァ神、ブラフマー神(梵天)、ビシュヌ神など最高神に付く尊称です。
和尚(OSHO)がバグワンと名乗ることは、自分がこの宇宙を創造して、維持し、破壊して新たな宇宙を創造する絶対神だと宣言することと同じです。こう考えれば、彼がバグワンと名乗ったことで多くの人からバッシングされたのは当然だと理解できます。
因みに、インドの神々の中の王はインドラ神(帝釈天)ですが、バグワンと尊称される最高神はインドラ神より遥か上位に位置する別格の大神です。そんじょそこらの神様にはつけられない敬称です。

そして最後の名前が、私の提案した和尚(OSHO)になったのです。

実は、私は和尚(OSHO)コミューンで二人しか選ばれなかったエソテリックサークル(秘教サークル)の最初のメンバーに選ばれていました。
もう一人のメンバーの名前は、聞いてもなぜか教えてもらえませんでした。

私は和尚(OSHO)コミューンのエソテリックメンバーに選ばれたお陰で、和尚(OSHO)の図書館に自由に入って本を読むことや、総ての瞑想クラスやコースにアシスタントやヘルパーとして無料で参加出来る特権を得ていました。
ある時、私が和尚(OSHO)の図書館に入室すると、インド人の男性がいました。お互いに、すぐにもう一人のメンバーだと合点がいきました。彼はインドの大学で、哲学科の教授をしていると自己紹介しました。

そこで、私は彼に和尚の語源がウッパディアーヤであることを伝えました。それについて詳しく聞きたかったからです。
彼は私の話を聞いて驚いた表情でした。そして「実に興味深い。実に興味深い」と答えました。
続けて彼はこう言いました。
「インドには教師を示す言葉が4つあります。
最上の教師はグル(GURU)です。グルは解脱したマスターという意味です。ちなみに中国人はグルを導師と翻訳しました。
2番目はアチャリア(阿闍梨)です。アチャリアは完全解脱はしていませんが、解脱直前の段階です。
3番目がウッパディアーヤ(和尚)です。
4番目がシャストリ(声明僧)です」

私は彼の説明を受けて衝撃を受けました。
和尚(OSHO)は最初、アチャリア・ラジニーシという名前でした。教師の位で言えばグルの一段下です。
次は、そのグルを飛び越えてバグワンになりました。
そして、最後がアチャリアより更にワンランク下のウッパディアーヤ(和尚)になったのです。

私は動揺しましたが、和尚(OSHO)コミューンの上層部はこの事実を知り、更に狼狽えたようでした。驚いたことに、コミューンは和尚(OSHO)の名の由来を変えたのです。
コミューンでは、急遽「OSHOという名前は、ウイリアム・ジェームスのオーシャニックから由来する」等と苦しい言い訳をしました。私は失笑しました。
しかし、後になって本人が「和尚(OSHO)の名前で良い!私はOSHOというサウンドが気に入っている」と宣言したので、上層部も納得したようです。私も胸を撫で下ろしました。

その後「和尚(OSHO)ラジニーシ」からラジニーシを抜いて、和尚(OSHO)だけにしました。
その後、OSHOという名の商標登録の問題で、アメリカの和尚(OSHO)コミューンか何かが、裁判を起こしたという噂を聞きましたが馬鹿げたことです。

私は別に命名権を主張する気はありません。
私はコミューンで何人かの人達に、和尚(OSHO)という名前を提案したことを話しました。或る人は「凄いね!」と言ってくれましたが、他の人には無視されました。どうやら作り話と思われたようです。
私が和尚(OSHO)という名前を提案した経緯、和尚(OSHO)がそれを受け入れた経緯を書いたのはそれが事実だからです。

私はあの当時、和尚(OSHO)を誰よりも愛していました。
和尚という名前の由来にもかかわらずその名前を受け入れた事が、和尚(OSHO)の勇気と覚悟を表しています。和尚(OSHO)はバグワンでもなく、アチャリア(阿闍梨)でもなく、その一段下のウッパディアーヤ(和尚)だと認めたのです。

私は和尚(OSHO)の覚悟を感じたので、彼が『和尚タイムズ・インターナショナル』で告白した衝撃の事実にも動じませんでした。それでも私は和尚(OSHO)を深く愛していました。彼の教えを愛していました。
あの告白が有っても彼の光の部分は揺るぎません。

彼は只者ではありません。
彼の講話は説得力に満ちています。
彼は最後の最後に勇気をもって告白したのです。
それを隠蔽することは和尚(OSHO)の勇気を無にします。そういう人は本当に彼の弟子と言えるでしょうか?

私は和尚(OSHO)の勇気と誠実さを信じます。
彼は異色の才能を持っています。
彼の体験は素晴らしい。
彼の洞察力は素晴らしい。
彼の教えも素晴らしい。
そのことは事実です。愛は永遠だからです。
こう言えば古い和尚(OSHO)の弟子は私の言いたいことが分かるはずです。


和尚(OSHO)はリビングマスター(生きたマスター)の重要性を常に説いていました。
和尚(OSHO)はこう言っていました。
「私の死後、貴方がリビングマスターに会ったら迷わずその方の弟子になりなさい」

マスターがそういうのは当然です。
例えば幼い子供を残して親が死に行くとき、「私が死んだら伯父さんのところの子供になるのだよ」と言うでしょう。
「私が死んだ後に他の人を親にしてはいけない。餓死してでも私以外の親を持ってはならない」と言ったら鬼畜です。

私は「インド2000万聖者の最高峰」「現代の仏陀(覚者)」と称賛され、インド政府が公認する世界に二人しかいないシッダマスターであるマハヨギ・パイロットババジ猊下にお会いしてすぐに、猊下が我々など足元にも及ばない高い存在だと気づきました。
それでも私は和尚(OSHO)への愛が執着になり、猊下の弟子になることが遅れました。これだけは失敗だと思っています。

和尚(OSHO)に感謝するなら、できるだけ早く新しいマスターに師事すべきでした。もっと早く猊下の弟子にさせていただくべきでした。
そうであったのなら私はもっと早く霊的成長を遂げていた事でしょう。それが弟子たちの霊的成長を願う和尚(OSHO)の本望に違いありません。

▶(3)へ続く