パイロットババ猊下が和尚(OSHO)を二度も助けたことは、私にとってとても嬉しいことでした。

和尚(OSHO)は1980年代、アメリカのオレゴン州に和尚(OSHO)コミューンを持っていました。
彼は堕落した組織宗教を厳しく批判しました。とりわけ教会キリスト教や組織主義的仏教教団を歯に衣を着せず批判をしていたので、キリスト教右派のレーガン大統領からは憎まれていました。
和尚(OSHO)コミューンの発表では、彼は冤罪を着せられ留置され、猛毒のタリウムを盛られ、アメリカから追放されたとのことです。

彼はアメリカを追放されたばかりではありません。アメリカは世界各国に手を回し、彼を危険人物として二十数か国から入国拒否させました。しまいには、母国のインドからも入国拒否を食らったのです。

ところがその和尚(OSHO)を二度にわたって助けたのがパイロットババ猊下でした。私はこの話をネパール最初の和尚(OSHO)の弟子、アナンド・アルーンから聞きました。

私がアナンド・アルーンに会うことになったのは、和尚(OSHO)がエンライトメントを認めた富山県の大門町生まれで、当時鎌倉にお寺を持っていた太母さんの使いでサイババ・アシュラムに行ったことがきっかけでした。
私は信じられないような偶然の重なりを経て、パイロットババ猊下とサイババ・アシュラムの近くで再会しました。

その時パイロットババ猊下は私にこう仰いました。
「ヒマラヤ一万二千年間秘密の瞑想法がある。私は貴方に3か月間マンツーマンで伝授したい。ナイニタールのアシュラム(僧院)に来なさい」

私はあまりの幸運に喜びました。
私は勿論行きますと答えました。ただインドビザの有効期限が迫っているので、新しいビザを取得するためにネパールに向かってからインドに再入国しますと申し添えました。
そしてネパールの首都カトマンズでビザを取得した帰り道で偶然、アナンド・アルーンの弟子に会い、彼のアシュラムに行ったのです。

こういう偶然が何百回も続くのです。
私が鎌倉の覚者の太母さんの願いでサイババに会いに行き、パイロットババジ猊下に再会するまでの信じられないような偶然については「ババジ猊下との再会 」をお読みください。

私はアナンド・アルーンに会ってすぐに彼に聞きました。
「貴方はパイロットババ猊下を知っていますか?」
すると予想外なことに彼はこう答えたのです。
「勿論知っています。我々和尚(OSHO)の弟子はパイロットババ猊下に感謝しています。
今パイロットババ猊下はネパール王宮にいらっしゃいます。ネパール国王夫妻はパイロットババ猊下の信者なのです。王妃はパイロットババ猊下の恋人だったそうです。
オレゴン追放以前はインドの政治家の信者もたくさんいました。彼らは和尚(OSHO)をなにかと助けてくれました。
しかし、オレゴン追放以降は誰一人助けてくれませんでした。あの当時和尚(OSHO)を助けることはアメリカの怒りを買うことなので、とても危険だったのです。
それなのにパイロットババ猊下は和尚(OSHO)を助けてくれました。だから我々弟子はとても感謝しているのです」

私はアナンド・アルーンのその言葉を聞いて、パイロットババ猊下にお会いする喜びが更に湧きました。
そして今度はパイロットババ猊下に伺いました。
「どうして猊下は和尚(OSHO)を助けたのですか?」

すると猊下は予想もしなかったことを答えてくださいました。
「私は彼のことで大好きな部分と嫌いな部分がある。
嫌いなところは、瞑想もしたことが無い人を簡単にサンニャシンにして男性にはスワミ、女性にはマ(マータ、英語のマザーの語源。高僧・大僧正程の意)の称号を安易に与えるところだ。
私の信者は100万人ほどいるが、スワミと名乗れるのは私だけだ。
マータを名乗れるのはヨグマタ(相川圭子師)だけだ」
(1992年当時のことです。現在は、シュリ・マタジ、チェトナ・ヨグマタジ、シュラッダ・ヨグマタジ、サティ・マタジなど何人か増えました。)

そうなのです。私が猊下にお会いした時はスワミと呼ばれたのはパイロットババ猊下だけでした。マータの名乗りを許されたのはヨグマタジだけでした。
サイババ・アシュラムに行った時、スワミと呼ばれているのはサイババ一人だけだと知り驚いたものです。

続けて猊下はこう仰いました。
「彼の良いところは言葉のチョイスが美しいことだ。私も彼の言葉を使うことがある。言葉は誰にも属さない。
釈迦もヒンドゥー教の言葉を沢山借用した。人類の覚醒の為にはそれが必要だから。誰も釈尊を著作権侵害の疑いで告発はしない」

「私が彼を助けたのは、一つには彼が私に教えを請うた過去があったからだ。
彼は私にヨガを教えてほしいと言ってプラナーム(接足作礼)した。私は彼にヒマラヤ秘法のヨガの一部を教えた。
私は彼の素晴らしい部分を知っている。同時に彼の失敗も知っている。
しかし、ヒンドゥー教はすべての宗教をリスペクトしている。ヒンドゥー教徒が他宗派を弾圧するのは良くない。私は彼を助けたかった。
だから私の信者のネパール国王夫妻を説得してラジニーシをネパールに入国させた」

「入国してからしばらくして、ネパール国王が彼を王宮に招待した。
ところがラジニーシは、グルに会いたければ貴方から来なさいと国王に言った。
国王からすれば、ラジニーシは多くの国が入国拒否した危険人物だ。その彼を助けるにはリスクが伴う。そのリスクを冒して招待したにもかかわらず、会いたければ貴方から来なさいと言われて国王は激怒した。
だから国王はラジニーシを国外追放にした」

実は、この話を私はプーナでも聞いていました。和尚(OSHO)本人がディスコースで同じことを言っていたので間違いありません。
そして偶然ですが、この話を猊下から聞いたころ、私は和尚(OSHO)が滞在していたホテルの目と鼻の先のホテルに滞在していました。

猊下はさらに仰いました。
「その後、ラジニーシはインドに帰国しようとしたが、今度は母国のインドから入国拒否された。
その時のインド首相は、インディラ・ガンジー首相の息子のラジブ・ガンジー首相だった。
インディラ・ガンジー首相と私は懇意だった。
息子のラジブ・ガンジー首相と私は空軍中佐仲間だった。
私はラジブ・ガンジー首相を説得した。
『ヒンドゥー教はあらゆる宗教を認めている。貴方がインド人のラジニーシを母国インドに入国させなければ、貴方は歴史に汚点を残す』
結局彼は私の説得を受け入れてラジニーシを入国させた」

ちなみに、元インド首相でインドのナラシマ・ラオはパイロットババ猊下の信者です。
現インド首相のモディ氏はパイロットババ猊下の弟子です。
彼は30歳までヒマラヤで修行していたサドゥー(遊行者)でしたので信者ではなく弟子になります。

こうした話を伺ったので、和尚(OSHO)オンリーだった私も次第に猊下に心を開いていきました。
若干時間はかかったけれど、私はパイロットババ猊下の弟子になりました。
総ての仏縁、神縁に感謝しています。

Om Shanti Shanti !(愛と平和を!)


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