私が初めて和尚(OSHO)コミューンに行ったのは1988年の12月8日でした。奇しくもその日は、釈尊(お釈迦様)が覚醒した日と言われています。
実は、私は和尚(OSHO)の信者ではありませんでした。和尚(OSHO)がエンライトメントを宣言していたので、それが本当かどうかこの眼で確かめたかっただけなのでした。

和尚(OSHO)コミューンに着いて手続きを済ませると直ぐに、ジャパニーズ翻訳部からお声が掛かりました。コミューンに入る時、ちょっとした書類を書いたのですが、職業欄に「僧侶・仏教研究者」と記入したので声を掛けてきたようでした。
私に声を掛けたのは日本人の或る翻訳者でした。彼は私にこう言いました。
「和尚(OSHO)が病気で長い間療養生活をしていますが、最近体調が良くなり、もうすぐディスコースに復活するという情報がありました」
「和尚(OSHO)は日本の禅が好きで、日本の禅を講話に取り上げています。
実は今、和尚(OSHO)が要望していた禅の漢文経典が日本から届きました。しかし、漢文経典はすべて白文で書かれています。我々には、何が書かれているのかさっぱり分かりません。
貴方は仏教僧で研究者だと聞きました。翻訳のお手伝いをしてくれませんか?」

私はこう答えました。
「同じ仏教といっても宗派によって全く考え方が違います。お役に立てるかどうかは分かりませんが、お手伝いできることがあればさせていただきます」

それから数日して、或る日本人女性が私にこう言いました。
「和尚(OSHO)の弟子になって仕事をすると、ゲートパスやフードパスが貰えます。どうせ手伝ってくれるなら、弟子になりませんか?」
そう仰るので、深く考えもしないでその申し出を承知しました。バックパッカーだったので、経費が節約できるのはありがたかったからです。
まあ、かように私はいい加減な男です。
でもそれが良かったのです。おかげで結果的に私は瞑想の道に入りました。

12月25日が私のテークサンニャスの日になりました。テークサンニャスとは、仏教風に言えば得度です。

12月25日がキリストの誕生日と思っておられる方も多いようですが、実は降誕祭で、誕生日は不明なのです。一説には、古代ローマのミトラ教ミトラス神の誕生日に冬至を祝う風習があったので、その日をキリスト降誕祭にしたとされています。

ミトラス神のルーツは、ミトラスという名前から分かるように、インド・イランの共通神ミトラがヘレニズム文化を介し、地中海世界に組み込まれたと考えられています。
インドのミトラ神のミトラ(Mitra)はサンスクリット語(梵語)ですが、梵語の母音交替により派生系のマイトレーヤ(Maitreya)が生じたとする説があります。
また、Mitraはローマ字発音だとミトラとなりますが、梵語や英語ではマイトレーヤになります。インドも、イタリアも日本もローマ字発音です。Orionはローマ字読みだとオリオンですが、英語だとオライオンと発音します。Lionはリオンでなく、ライオンとなります。インド・ヨーロッパ語族同士なのだから、何か関係があるのでしょうが、専門外なので詳しくは不明です。

ミトラはパーリ語ではメッティア(Metteyya)となります。メッティアはヘブライ語でマシアハ(mashiach)、更にギリシャ語でメシアス(messias)に変化して、日本ではメシア(救世主)として知られています。
イランのバクトリア語系ではミロ(Miro)神と呼ばれ、そのMiroを中国人は弥勒と音写しました。

弥勒は56億7千万年後に救済仏となることを釈尊(お釈迦様)が予言した菩薩です。弥勒は菩薩であって、ミトラ神やミロ神などの神ではありません。
大乗仏教では六道輪廻という考えがあります。六道とは地獄・餓鬼・畜生・阿修羅・人・天の世界で迷いのサークルです。
天とは神の事です。神も迷いの存在であるから、輪廻から解脱しないといつかは地獄に落ちます。この迷いの輪廻から離れた存在が菩薩ですが、まだ完全ではありません。
仏になって完全な解脱(絶対的自由)が成されるとされています。

マイトレーヤが仏教やヒンドゥー教、キリスト教などの宗派を超えて救世主と考えられているのは、弥勒菩薩の未来救済者的性格によるものですが、仏教者から見れば未だ悟らぬ神と同一視されるのは不満でしょう。

私が和尚(OSHO)の弟子になった翌日、12月26日に和尚(OSHO)は長い療養生活から戻り講話を始めました。
そこで彼は「私はバグワンという名前を捨てる」という宣言をしました。
そして新しい名前を、なんとMaitreya The Buddha(マイトレーヤ・ザ・ブッダ)にしました。直訳すると、「仏陀としてのマイトレーヤ(弥勒菩薩)」です。

弥勒菩薩は釈尊に「56億7千万年後に仏陀となり世界を救済する」と予言された「未来救済仏」です。釈尊の弟子だった当時は仏陀の一つ手前の菩薩の位でした。
それを「仏陀としてのマイトレーヤ」と宣言したのだから、仏教に詳しい人なら「自分は弥勒菩薩である。この度、完全に覚醒して世界を救済する仏陀になった」という宣言をしたと理解します。

事実、和尚(OSHO)は「56億7千万年というのは計算違いで、本当は2500年後だ」と言いました。つまり和尚(OSHO)がマイトレーヤだと宣言したと解釈するのが妥当です。正直、仏教僧だった私はその講話を聞いて腰を抜かしそうになりました。

しかし翌日、和尚(OSHO)はすぐに名前を変えました。バグワンと言う名前を主張したことでバッシングを受けていたから改名したのに、自分が救世主だと主張したら、同じ轍を踏むと考えたのかもしれません。
彼はその翌日も名前を変えました。そして、その翌日も。
結局、毎日名前を変えて、12月31日に「私をラジニーシと呼ぶだけで良い」と宣言して、ニューネーム騒動は終わりました。

年が明けて、翌年1989年1月7日、私がコミューン内を歩いていると、ある日本人女性が私を呼び止めました。昭和最後の日でした。

彼女は私にフードパスの話をして、テークサンニャスを勧めた女性でした。その人はとても綺麗なウエスタナー(西洋人)の女性と一緒でした。
その日本人女性はウエスタナーの女性を示し、こう言いました。
「彼女はコミューンの上層部の方です。貴方に聞きたいことがあったので探していました」

後で皆さんにその日本人女性のことを聞くと、和尚(OSHO)の国際秘書のハーシャの更に秘書的役割をしていたそうです。
ウエスタナーの女性は映画監督のフランシス・コッポラの不朽の名作『ゴッドファーザー』のプロデューサーの元ワイフだったと言っていました。綺麗な方でした。
ウェスタナーの女性は私に尋ねました。
「貴方は日本の仏教僧ですね?日本ではプリーストのことをなんと呼びますか?」
私は答えました。
「色々な呼び方があります。和尚とか、坊さん、坊主とか、住職、院主さん等たくさんあります。宗派によっても呼び名が違います」

すると彼女はこう言いました。
「これから私が言うことは、暫く極秘にしてください。
貴方も知っているように、バグワンはその名前を捨てて、毎日名前を変えました。彼は最後に私の事はラジニーシと呼んで良いと言いました。
しかし、我々は彼をラジニーシと呼びたくはないのです。我々は新しい名前を彼に贈りたいのです」

「新しい名前には3つの条件があります。
1.バグワン(最高神)のような特別な名前ではなく、もっと普通の名前を贈りたい。
2.彼は日本の禅が好きなので、日本の禅に因んだ名前を贈りたい。
3.ヤフーの代わりになる名前を贈りたい。
この条件に合った名前はなんですか?」

私は即座に答えました。
「それなら和尚しかありません。
和尚と言う字は、普通「わじょう」とか「かしょう」と発音します。ところが禅宗では「おしょう」と訛って発音します。従って、日本の禅に因んだ名前という条件に該当します」

「第二に、和尚という呼び名は、本来は位の高い僧侶についた名前です。
ところが、現在ではお寺の和尚さんと言えば、普通のお坊さんのことを示します。日本人は親しみをこめて僧侶を「和尚さん」と呼びます。
だから、バグワンのように特別な名前ではないという条件に当てはまります。
因みに、仏教用語は、パーリ語かサンスクリット語由来のものが多いのです。和尚という言葉はおそらく、パーリ語かサンスクリット語から来ているでしょう。
しかし、私は旅先で辞書を持っていません。後で語源を調べてください」

「三番目の条件のヤフーの代わりにということですが、日本人からすると、バグワンに向かって「坊さん!」とか「坊主!」とか「住職!」とか叫ぶのは違和感を覚えます。サウンド的には「和尚!」が一番良いですね」

こう話した1か月後に、和尚(OSHO)は「和尚(OSHO)ラジニーシ」という名前を採用しました。
和尚(OSHO)はこう語りました。
「この名前は、極東の国(日本)の禅僧の名前に因んでいる。バグワンのように特別な名前ではなく普通の名前だ。何より「OSHO!」というサウンドが良い」
そう宣言したのです。

和尚(OSHO)は私の勧めた理由を総て了承して、この名を採用しました。
私は世界的に有名な神秘家の名前をつけたことに興奮し、和尚(OSHO)との心の距離を一挙に縮めました。
後で聞くと、ジャパニーズ翻訳部にもこの話は来ていたそうです。従って、「和尚」とか「坊さん」とかの案はでていたけれど、皆さんが仏教に明るくなかったので、先の日本女性が仏教僧であった私に打診してきたのでした。

ところが、その後少し困った問題が発覚しました。
▶(2)へ続く