秋元山光厳寺 群馬県前橋市総社町総社1607
秋元氏の菩提寺である
生まれも育ちも群馬県
上州の国人・総社長尾氏を贔屓にするのは当然である
しかし、総社の地を歩けば歩くほど
秋元長朝に惹かれていく自分がいた
秋元長朝は関ケ原の合戦の後、総社藩6千石を与えられた
だが、長い戦乱により上州の地は荒れ果てていた
長朝はここを緑豊かな地にするため、用水を作ることを決意
領民から3年間年貢を取らないことにして、みんなで用水工事に取り掛かった
↑総社歴史資料館のジオラマ とても素晴らしい
工事は順調に進んだが、最後に大きな岩が立ちはだかりこれ以上進めない
困っている領民達の前に突然一人の山伏が現れた
山伏から岩を熱した状態で水をかければ割れると教わり、見事割ることが出来た
お礼を言おうとしたら山伏は消えていた
これが天狗岩の伝説であり、天狗岩用水と言われる由縁である
用水は完成し、上州は緑豊かな地になった
秋元氏は総社の地を三十年治めた後、甲斐に移封となる
それから百七十二年後、秋元長朝を慕う領民たちが米を出し合い
光厳寺に『力田遺愛』の碑を建てた
群馬の地は美しい
黄金に波打つ麦秋を見て
雨が滴り蛙鳴く水田を見て
青々と実り垂る稲穂を見て
からっ風に吹かれて春を待つ麦芽を見て
群馬を歩きながら、先人達に思いをはせてもらいたい
ちょっとだけでいいから