名言(224) ― 本来の心の状態のこと | saniyのブログ ― 言葉に学ぶ

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これまで出会った言葉たちについて考えていくブログです。まず、名言から始めています。

水は波がなければ穏やかであり、鏡も曇(く)りさえなければ自然と輝いている。これは人の心も同じで、本来は清らかなのだから、無理に清くする必要はない。濁らすものを取り除けば、自然と清くなる。また、楽しみも無理に探さなくてよい。心の中の苦しみを取り除けば、自然と楽しい気持ちになってくるものだ
[洪自誠(中国明代の著作家)の『菜根譚』より。]


私には、幸福とはどうも――人生に対する明るい見方と曇(くも)りのない心の中にあるものであって、外面的なものにあるのではないように思われます。
[ドストエフスキー(ロシアの文豪)の書簡より。]

くもりなき/一つの月を/もちながら/浮き世の雲に/迷ひぬるかな
(歌意: 人は誰でも本来明るい月のような曇(くも)りのない心を持ちながら、月を覆(おお)ってしまう灰色の雲のような現世(げんせ)の様々なことに惑(まど)わされて、心はいつしか輝きを失ってしまっている。)
[一休禅師(室町時代の禅僧)の詠(よ)んだ道歌(和歌)]


私の成功の秘訣(ひけつ)がひとつだけあるとすれば、ずっと子供の心のままでいたことです。
[アルベルト・アインシュタイン(理論物理学者)]


心暗きときは、すなわち遇(あ)うところことごとく禍(わざわ)いなり。眼(まなこ)明らかなれば途(みち)にふれて、目にふれるものはみな宝なり。
(語注:  ・心暗きときは=心が暗い時は。 ・すなわち=則(すなわ)ち。△漢文においてそのあとにその結果を述べる文脈の際に添える語であり、特に言い換えなくてよい。 ・遇うところ=出会う対象は。 ・禍いなり=災いをもたらすものに見えてくる。 ・眼明らかなれば=目が明かであると。心の目が明るく開いていれば。 ・途にふれて=道中。道すがら。 ・宝なり=宝である。宝として見えてくる。)
[空海(平安時代初期の高僧)]




上で言う、心の中の濁り・曇(くも)り・暗いところ・苦しみ・波・邪念等を取り除いて、穏やで落ち着いた、澄(す)んで清らかな、楽しくて晴れやかな、大事な本来の心の状態を取り戻したい。
[追記更新:24/04/05]


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今回のぶんと内容が関連するぶん

・名言(68) ― 周りを見る目と心のこと
・名言(151) ― 自身の生き方と自身の世界のこと


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次の★に、当ブログでこれまで投稿した投稿記事[名言(1)~名言(224)]を、事項別に分けて、リンクさせています。


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