名言 (148) ― 自己中心性の功罪のこと | saniyのブログ ― 言葉に学ぶ

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自己を運(はこ)びて万法(ばんぽう)を修証するを迷いとす。万法(ばんぽう)すすみて自己を修証するは悟りなり。
(語注: ・自己を運びて=自己が対象に自ら進み、迫っていって。 ・万法を修証するを=対象を明らかにしていくことを。 ・迷いとす=迷いとする。迷いとみなします。 ・万法すすみて=対象の方が自己の方にやってきて。 ・自己を修証するは=自己が明らかにされていくことは。 ・悟りなり=悟りである。)
[道元(鎌倉時代の禅師)]

 



禅宗の高僧が述べたものだけにかなり難解な言葉だが、この文を「自己中心」という観点から見てみたい。

自己の視点や自己による働きかけにより物事を捉(とら)えていく主観的な自己中心的な状態が「迷い」の境地であり、自己に働きかけているまわりの良きもの(人や自然や事物や真理や教えなど)との出会いとそれが自己に浸透(しんとう)し影響を受けていくことにより自己の生(せい)が主観的な利己的な自己中心性を脱した状態が「悟り」の境地であると述べているのではないかと思う。

主体的に能動的に生きて自分のまわりのものを明らかにしていくことは良いことではあろうが、仏教で言う外からくる良き縁(えん)をもとに自分のことや周りのことをよく知っていくことが大事なのであろう。

M.チクセントミハイ氏、小林秀雄氏、バートランド・ラッセル氏、アルフレッド・アドラー氏、マルチン・ブーバー氏、美輪明宏氏、大前研一氏の、

・真の自己実現とは、自己を中心に考えるのではなく、むしろ、自己を忘れることで実現されます。
・ぼくはいつでも感動からはじめた。感動というものはいつでも統一したものです。分裂した感動などというものはありません。感動している時には世界はなくなるものです。感動した時にはいつも自分自身になる。
・幸福な人間とは、客観的に生きる人である。
・人生における、全ての失敗の原因は、自分の事しか考えていないことにある。
・すべて真の生(せい)とは出会いである。
・感謝をすることの為(ため)に座禅はあるんだという風(ふう)に思っております。
・人間が変わる方法は三つしかない。一つは時間配分を変える、二番目は住む場所を変える、三番目は付き合う人を変える、この三つの要素でしか人間は変わらない。もっとも無意味なのは、「決意を新たにする」ことだ。かつて決意して何か変わっただろうか。行動を具体的に変えない限り、決意だけでは何も変わらない。

などは、上の道元禅師の言葉と同じ方向のことを述べていると思う。

上の道元禅師の言葉の内容を理解できているお方は、いつでも、コメント欄において述べてみて下さい。
(語注: ・功罪=良い点や悪い点。  ・自己中心性=自己を中心・視点・起点にして対象を捉(とら)えたり、働きかけたりすること。  ・能動的=自分から他へ働きかけるさま。受動的の対義語。)
[追記更新:23/11/10]


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