【水木夫妻ゆかりの地探訪】 灘町後藤家 【米子市灘町】前編 | 山陰百貨店―日常を観光する―

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山陰山陽各所を訪れたご近所観光の個人的な備忘録です。

水木しげる夫人、武良布枝さんのエッセイ『ゲゲゲの女房』によると、1961(昭和三六)年1月25日に安来のご自宅でお見合い、その10日後の1月30日には米子で挙式。式場となったのが米子の「灘町後藤」というお屋敷。

 

資料によると、およそ1,600平方メートルの敷地に、数寄屋造りの主屋(約350平方メートル)や離れ、茶室や土蔵が立っているということです。北海道の鉱山経営で成功した後藤彦三郎が野村財閥創始者の別邸・野村碧雲(へきうん)荘(京都市左京区・重文)も手がけた大工を呼び寄せ、1932(昭和七)年着工し、1935(昭和一〇)年に完成。戦後は連合国軍が一時使用し、1956(昭和三一)年から十数年間は料亭として使用されていた由緒ある建物で、米子の奥座敷とも称されていました。鳥取県下において、近代和風建築としては非常に優れたもので、米子の迎賓館としても使えるほどのものだったと評価されています。その後、空き家同然となり、2000(平成一二)年の鳥取県西部地震で被災したこともあって更に荒廃。2009年に市内のまちづくりNPOが建物の保存に役立てたいと、清掃活動に入りましたが、すでに手の施しようがない状態に至っていました。屋根瓦はずれ、壁土もほとんど落ちてしまった状態で、修復するにしても莫大な額の費用を投じないと修復できないといった印象だったそうです。

 

解体前の灘町後藤家は、夜など邸内に人魂が飛び交い、影女などの物の怪が巣食う荒廃した妖怪屋敷といった様相。

 

灘町後藤家 2013.02.12
灘町後藤家 2013.02.12
灘町後藤家 2013.02.12
灘町後藤家 2013.02.12
灘町後藤家 2013.02.12

 

そして2013年、2月から3月にかけて解体。広大な屋敷は更地と化しました。

 

南東角より解体前の様子(2013年2月12日)

灘町後藤 2013.02.12

 

南東角より解体中の様子(2013年2月19日)※一部構造物、通用門及び塀の瓦撤去

灘町後藤 2013.02.19


南東角より解体中の様子(2013年2月25日)※通用門及び塀撤去

灘町後藤 2013.02.25


南東角より解体中の様子(2013年2月28日)※土蔵解体撤去

灘町後藤 2013.02.28


南東角より解体後の様子(2013年4月5日)※更地

灘町後藤 2013.04.05

 

南西角より解体前の様子(2013年2月12日)※解体前

灘町後藤 2013.02.12

 

南西角より解体中の様子(2012年2月20日)※屋根瓦等撤去中

灘町後藤 2013.02.20

 

南西角より解体中の様子(2012年2月25日)※一部塀、正門解体撤去

灘町後藤 2013.02.25

 

南西角より解体中の様子(2013年3月3日)※土蔵解体撤去

灘町後藤 2013.03.03

 

南西角より解体中の様子(2012年3月11日

灘町後藤 2013.03.11

 

南西角より解体後の様子(2013年4月5日)

灘町後藤 2013.04.05

 

解体前、本通り東側より遠景(2012年9月15日)

灘町後藤 2012.09.15

 

解体中、本通り東側より遠景(2013年2月9日)

灘町後藤 2013.02.19

 

解体後、本通り東側より遠景(2012年4月5日)

灘町後藤 2013.04.05

 

解体前(2013年2月12日)※屋敷南面の正門

灘町後藤 2013.02.12

 

解体中(2013年2月20日)※屋敷南面の正門、瓦撤去

灘町後藤 2013.02.20

 

解体後(2013年4月5日)※屋敷南面の正門跡

灘町後藤 2013.04.05

 

解体前(2013年2月12日)※屋敷東面の東門

灘町後藤 2013.02.12

 

解体中(2013年2月19日)※屋敷東面の東門、瓦撤去

灘町後藤 2013.02.19

 

解体後(2013年4月5日)※屋敷東面の東門跡

灘町後藤 2013.04.05

 

解体前(2013年2月13日)※本通り側土蔵

※本通り東側より遠景

 

解体中(2013年2月20日)※本通り側土蔵

灘町後藤 2013.02.20

 

解体後(2013年4月5日)※本通り側土蔵跡

灘町後藤 2013.04.05

 

解体前(2013年2月12日)※本通り側土蔵

灘町後藤 2013.02.12
灘町後藤 2013.02.12

 

※解体中(2013年2月20日)※本通り側土蔵

灘町後藤家 2013.02.20
灘町後藤家 2013.02.20

 

解体中(2013年2月25日)※本通り側土蔵

灘町後藤家 2013.02.25

 

ほぼ解体が終わる(2013年3月3日)※本通り側土蔵

灘町後藤家 2013.03.03

 

解体前(2013年2月12日)※本通り南門前付近から

灘町後藤 2013.02.12

 

解体中(2013年2月19日)※本通り南門前付近から

灘町後藤家 2013.02.19

 

解体中(2013年2月20日)※本通り南門前付近から

灘町後藤家 2013.02.20

 

解体中(2013年2月25日)※本通り南門前付近から

灘町後藤家 2013.02.25

 

解体中(2013年2月28日)※本通り南門前付近から

灘町後藤家 2013.02.28

 

解体中(2013年3月3日)※本通り南門前付近から

灘町後藤家 2013.03.03

 

解体後(2013年4月5日)※本通り南門前付近から

灘町後藤家 2013.04.05

 

解体前(2013年2月12日)※南東角から

灘町後藤家 2013.02.12

 

解体前(2013年2月19日)※南東角から

灘町後藤家 2013.02.19

 

解体前(2013年2月25日)※南東角から

灘町後藤家 2013.02.25

 

解体後(2013年4月5日)※南東角から

 

灘町後藤家 2013.04.05

 

はて?これは、井戸跡??

 

灘町後藤家 2013.04.05

 

下手に穿りかえすと厄介なことになるかも・・・。

 

謎は謎のまま、歴史の闇に葬り去る方がよいこともある。

 

残りの写真は明日。