庵野秀明展と田中泯さんの「ミニシミテ」 | サニディンの創作談話

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他にも雑多な話をしたいと思っています。よろしくお願いします。

 

こんばんは。Sanidine(サニディン)です。

 

ちょっと長い文章になってしまったので、お暇な方のみお付き合いください🙇

 

 

一昨日の日曜日、庵野秀明展に行ってきました。

刺激を沢山もらいました。

僕も幼い頃から創作はしてきましたが、技術の差もさることながら庵野さんの作品に込める熱量がとにかくすさまじく、自分とは比になりません。

僕はそれほど庵野秀明さんのことに詳しいわけではないので、これは展示を見ていて何となく感じたことなのですが、

庵野さんはもともと天才肌の人というわけではない気がしました。

ただただ圧倒的な拘りがあって、あれほどの表現力が身についていったのだと思うのです。

僕も若い頃は自分には才能がないから無理なんだとかそういうことを言っていた時期がありましたし、今も言いかけそうになる時がありますが、そういう話をしたいなら、庵野さんほど物事を追究してみてから言うべきだなと思いました。

あまりじっくり見なかった展示も多いので、展示期間中にもう一回観に行こうかなと思っています。

 

同日に、田中泯さんの「ミニシミテ」という本を買って、今読んでいます。

テレビで田中泯さんが話したりしているのは何度も観ていますが、この本を読んで、その姿からは伺い知ることができなかった田中泯さんの本質を、泯さんの踊り以外の形(言葉)で見ることができた気持ちになりました。そして、とても共感を感じると共に、自分を恥じ入るような気持ちになりました。

僕はとにかく人の目が気になるので、自分というものを出すことを怖れますが、田中泯さんは確たる自分というものを持っておられます。

言葉についても語られていますが、本当に言葉というものを大事にしなくてはいけないと思いました。

僕は、人と交わす言葉というものを最近いくらか軽視していて、言葉では物事の本質は伝えられないのではないかと分かった風なことを思いながら、平気でぞんざいに扱い始めていましたが、それではいけないなと思いました。ゲーム制作などを通じて作家の真似事のようなことをしている身としても恥ずかしい態度でした。

人間は社会性の生き物だとは思いますが、社会性の奴隷になってはいけないと感じます。
人との衝突を怖れ、聞こえの良い言葉を振りまくことだけに終始しているとたまに自分を見失うような気持ちになることがあります。

本当に自分はそう思っているのかな、と感じることがあります。だからといって人の気持ちを考えず自分勝手に振る舞うというのは少し違うと思いますが、少なくとももう一度言葉と、ひいては言葉を発するカラダと深く向き合わないといけないのかもしれません。

 

最近は読書をすることが増えました。本を読む度に自分の知見がものすごく狭いことを思い知らされます。以前にも書きましたが、僕は一般常識すらおぼつかない有様です。
読んだ経験を無駄にしないためにも、アメブロに読書記録でも書いてまとめていこうかなと考えているところです。

お暇でしたら流し読みでもして頂けるとうれしいです。

 

それでは、また~👋