私はとても悔しかった。

 

パニック障害という病気を存分に理解出来なかった事。

検査やカウンセリングの意味を知れなかった事。

動悸や不安感に襲われながらも病院に行けた勇気が報われなかった事。

何より、

治療法や薬に対する説明が何もされなかった事に心底絶望した。

 

お金や時間の問題ではなく、

患者として人として相手にされていなかった様で悲しかった。

 

精神疾患の患者には薬を出せばいい。

説明は必要ない。

心に残った印象はただそれだけ。

そんな扱いなんだと正直思った。

 

当時の時代背景もあったかもしれない。

その様な病気に対するケアシステムも整っていなかったのかもしれない。

だとしたら私は

理解出来ない病気とどう向き合えばいいのか。

医師が教えてくれなければ私はどこで知ればいいのかと。

 

悔やんでも戻れない。

この病気と一生共にしていかなければいけないのかと、

恐怖で気がおかしくなりそうだった。

 

パニック障害を発症した原因を考えた。

生い立ち?

誰1人として同じ人生を送る人はいない。

様々な環境で過ごし生きるもの。

人格?

遺伝子によって形成される部分や後天的に変化していく性質はあるけれど、

問題があるのならどの部分が原因なのか。

ストレス?

誰もが生きている限り日々大なり小なりストレスを感じているはず。

私だけに限った事ではない。

 

どんなに考えても思い出しても

そういった部分に理由付ける事に納得がいかなかった。

誰かの所為に、

何かの所為にすることは、

綺麗事の様な気がして堪らなかった。

 

私はこの時24歳。

24年も生きていたけど、

まだ24年の小さな器と知識では受け止めきれなかった。