バテレン追放令(伴天連追放令)は、豊臣秀吉が1587年(天正15年)に発したキリスト教を禁じる禁令です。
豊臣秀吉の伴天連追放令は、ポルトガル商人たちが日本人を奴隷として海外に連れ去るのを阻止したという説があります。
日本人の貧しい少年少女が大勢、タダ同然の安さで西欧人に奴隷として売られていることを秀吉は、九州遠征で初めて知ることになります。
海外に連行されていった日本人奴隷は、ポルトガル商人が主導したケースがほとんどで、その被害者はざっと5万人にのぼるとされています。
実情を憂慮した秀吉はコエリョに対し、日本人奴隷の売買を即刻停止するよう命じ、こうも付け加えました。
「すでに売られてしまった日本人を連れ戻すこと。それが無理なら助けられる者たちだけでも買い戻す」といった主旨のことを伝えている。
もしも秀吉が天下を統一するために九州を訪れていなかったら、こうした当時のキリスト教徒が持つ独善性や宣教師たちの野望に気づかず、日本の国土は西欧列強によって侵略されていたことになります。
秀吉はその危機を瀬戸際のところで食い止めたわけです。
切手は2020年日本発行の「駆け上がれ!秀吉 ~光秀の好敵手 若き秀吉ゆかりの地~フレーム切手」で、
●清洲城
●小牧山城
●岐阜城
●金崎宮
●長浜城
●姫路城
●鳥取城
●備中高松城址
●山崎合戦の地
●大阪城-
が描かれています。
切手は2001年レソト発行の「国際切手展 フィラニッポン'01小型シート」で、『狩野光信』作の豊臣秀吉が描かれています。

