1898年(明治31年)から翌年にかけて國民新聞(現在の東京新聞の前身のひとつ)に掲載され空前のヒット作品となった徳冨蘆花(1868~1927)の『不如帰(ほととぎす)』まの紹介です。
浪子という女性が若くして結核に罹り、そのために離縁され死んでいくという内容の物語です。
当時、結核は不治の病と恐れられており家族のだれかが結核に罹ると、家族全員に感染してしまうと危惧された難病でした。
当然のことながらに家族全員が感染して死亡すれば家は絶えてしまうことから、家を守るために感染者が嫁の場合は、離縁して実家に帰すことはひとつの選択でした。
しかし浪子の夫、川島武男夫は浪子を嫌いになったわけではなく、母の指示で嫌々離縁せざるをえなかったために、引き裂かれた夫婦の情愛が描かれ、しかも、結核に罹った浪子は美人に描かれたためその悲劇性が殊更人々の心を打ち、小説『不如帰』は空前の大ヒットとなったのです。
※ 甲高い声で鋭く鳴き続け、口の中が赤いので、ホトトギスは『鳴いて血を吐くホトトギス』といわれています※
※子供の頃祖父に連れられお祭りに聞いた聞いたのぞきからくりの独特の節回しの一節が今も残っています※
『武男がボートに移るとき、浪子は白いハンカチを打ち振りながら、ねえあなた早く帰って頂戴と・・・・』
※また浪子が夫の出征を見送る際にハンカチを振るシーンがあり、この小説をきっかけにハンカチは別れの小道具となったとされています※
YouTubeをを探しているうちに『のぞきカラクリの唄 映画「長屋紳士録」より 歌:笠 智衆』が見つかりましたので紹介させていただきます。
【お礼】
katukikimio様ありがとうございます。
徳冨蘆花自身は結核に罹ってはいませんが、結核患者の境遇・悲劇・社会性などを見事に描いています。
切手は1954年日本発行の「第2次動植物国宝切手」の中の一枚で、ホトトギスが描かれています。
徳冨蘆花の切手は、2023年3月時点でも発行されたていませんので彼に関する風景印を以下に紹介いたします
風景印は世田谷粕谷郵便局(東京都世田谷区粕谷4丁目13-14)の風景印で、蘆花恒春園と徳富蘆花が描かれています。


