能登半島地震で感じた事

地震発生で早くに石川県災害ボランティア登録しましたが、現状をお話しさせていただきます。

地震が起きて石川県がボランティアを統制したのは当初理解しましたがそれでも多くのボランティアが入れないというより入らせようとはしない。

それは受け入れ態勢が十分でないということのようです。

まず県外は入れない。これは当初良くあることですが、徐々に入れるようになるのですが、能登半島は全く違います。

一つの町、市に15人~20人しか受け入れしていないので行きたくてもいけないのが現実でした。

それが発生後60日過ぎても同じこと、なぜ今までのボランティアと違うのか、

県が統制したのは今回が初めて、普通は市町村に任せる体制なのにどうしてなのでしょうか、

我々は災害が発生と共に時間軸が後ろに行くとそれだけボランティアが集まらないのは良く知っています。

とにかく早く各地から来てもらい早く終わらせることが急務です。それが石川県は全く違います。これでは復旧は厳しい、待ち望んでおれる方々に早く手を差し伸べないと、

先日のボランティアで80過ぎの女性が隣にこんなに沢山来て片付いたのに内のは何も出来ないと顔に何か所も地震で怪我され傷を負われた姿に心傷んだひと時でした。

又何とかして行かねばと思っていますが、テントも一泊以外出来ないシステム、どうにかならないものなのでしょうか、

能登穴水町ボランティアで感じた事

穴水町は能登鉄道が復旧最中ということもありまだまだボランティアが入りにくい状態で、四月の開通で少しは入りやすくなるでしょうか、

そんな中みなさん大変な状態で避難所には行きませんでしたが、まだまだ避難生活が続くようです。二日目の片づけした家も避難生活、我々が行くので帰って来てくれました。

大変なボリュームの大事なものも含め出す決心をされました。

ご主人に聞き、重ねて奥さんに聞きながら出させて頂きました。とかく大勢のボランティアが入ると勢いで残したいものまで出されることもありますだけに慎重に進めさせて頂きました。

そんな中、穴水町のご老人が来られ町が回収するものは出さないでと説明に来られていました。

前日も同じ人が同じように支持されていました。

ご苦労なことです。

その方が帰り際、我々みんなに手を振りお見送りを受けました。

帰ってもあの時の風景は頭にこびり付いたままです。

自分の家でも無いのにこうして高齢でも手伝い、お礼される姿お見事でした。

そんな仕草で我々が駆け付けたこの重みをじっくりと噛みしめています。

     

穴水駅とボランティアセンター

能登地震で感じた事、

輪島の海岸が隆起したことで能登半島全体が大変な被害、距離にして20キロ以上離れた地域にまで大きな被害が出た。

本来でしたら断層の揺れであれば断層に沿って1~2キロ範囲が被害に遭うものなのですが、能登半島はこれだけ離れていても被害が甚大、過去の地震とは全くスケールが違うだけに何とか早く復旧してほしいものです。

穴水町にも水道が使えるようになりましたのでボランティアの最大の困りごとはトイレ事情、先日までの人たちの多くは水を飲まない、食事も最小限で活動されて一日トイレに行かないで活動されていました。

今回もまだまだトイレ事情は悪いですが、近くで借りたり出来るようになったことで少しは安心して活動出来ると思います。

奈良とは違い雪は止んでも又振り出す、北陸の雪事情は全く違いしぶとく降り続ける。

それでもボランティアは休むことなく少しでも動きたいという人ばかり、

穴水で20人近く入るとそれだけで大変喜んで頂けました。

行って良かったそんな瞬間を味わうことが出来ました。

もう一度行けるように準備したいです。

 

 

 

 

能登半島の地震でやっと奈良県社会福祉協議会主催の災害ボランティアに参加することが出来ました。

地震以後早くに石川県災害ボランティアに登録していたのに行けないのはなぜ?

 

なぜこれだけボランティアが入り難いのか色んな事が気になっていましたので実際この目と五感で感じたいというのが大きな目的でした。

当然お困りの家庭に微力ですがお力になれたらと言う本来の目的は当然あった上でのことです。

 

能登半島は何度か行きましたが、今の能登半島は過疎化が最大の原因で何事も進まないのは住民が高齢化していることと、30代以下が極端に少ない人口構成、若者が都会に出る。だから過疎化が進む、それも高速で変化していく中での今回の地震、その上3000年~4000年に一度という隆起によって半島全体がいたる所で発生、道路が寸断、水道管の破損、こんな姿は阪神淡路地震でも無かった。
熊本地震でも無かった。当然東日本地震でも無かったことが能登半島で起こっています。

とにかく全国からの応援で何とか早く復旧して一日も早く正常な生活を送ってほしいものです。

又穴水町にボランティアとして参加したい。そして少しでも早く普通の生活に戻ってほしい。

行く家みなさん本当に喜んで下さり、逆にこれだけしか出来ないで申し訳ない心で帰路に、

奈良テレビでも出発の様子をニュースで映り、私のインタビューも映ったようです。

TVN NEWS (naratv.co.jp)

全国で高速で街から地方にという流れを真剣に作ること。

それが日本列島を守る唯一の道です。何とか地方に人が戻るように働く場を国は方向転換をしないといけないことが明確に解りました。

高野山での出来事

高野山は厳しい冬から雨の降るたびに暖かく感じられるところです。関西でも特別寒い高野山ももう少しで春の訪れが感じられる季節になりました。

3月3日日曜日火祭りが行われますがこの日は春の訪れを待ち望む日でもあります。

今日2月21日はお大師さんが御陰堂から奥の院に入られたことで毎月供養がされます。

 

3月21日はこの御陰堂と奥の院では大勢の僧がお大師さんと向き合われる日でもあります。

偶々以前法印をされた方とお話をする機会がありました。

古くは法印は早い人も長い人もおられましたが明治になり1年で交代するようになりましたと教えて頂きました。

空海は3月21日に僧たちに見送られ奥の院に入定され、弥勒菩薩が現れるまで私は皆さんの為にお祈りをしますと言って生きて奥の院に入られたというような話を聞けました。

これには諸説ありますが、今日お聞きしたことがどうも本当だったのかも知れません。

豊臣秀吉も当初は高野山を焼き討ちにするつもりであったのが高野山を大切に思っていただいたので今日の高野山があります。

合わせて明治以後皆さんの寄進がありましたので今日の高野山があります。

高野山の歴史は火災との歴史で何度も大火に遭いながらも皆さんの寄進で今日まで来れました。

などなど色んな話を一人で聞かせてもらうありがたい時間を頂きました。

大僧正でもあられますお方とこんなに身近でお話しが出来、高野山ならではの事です。

ありがたい時間を頂きました上に又高野山の事を知る機会が出来ましたことはこの上にありがたい事です。こうして高野山の知識がどんどん膨らんでいます。学びは本当に大事なことです。興味のあることを少しでも深く知る事は大きな財産であります。お陰で空海最後の瞬間のイメージが膨らんでいます。

 

目の前に素晴らしい宝物があっても興味がなれば何も始まらない。色んな事に興味があれば聞く耳を持てる。その積み重ねだけのようです。

  

 

我が家の自慢の一つ | 奥村 行仙 (ameblo.jp)にありますわけぎが今年も又元気よく育っています。

元々野菜については拘りがあります。

出来るだけ種を採取して翌年にタネを撒く、すべての野菜はそうはいかないのですが、

出来るだけ自家採取に努めています。それは下に書いたようなことです。

 

そのⅠは出来るだけ種を取り育てる。

それは馴染んだ気候、土地の土質や水分などで野菜が慣れ親しんだものを植えると農薬は余り必要としないことが解ったからです。

その2は野菜は良く知っています。環境が同じだと良い野菜が出来ることです。

その3は味が間違いなくいいのです。慣れ親しんだ環境が野菜の生育にストレスが掛からないがのびのび育つからです。

野菜もストレスを与えるとうま味の少ない野菜になります。

こうしてストレスを掛けない野菜作りに励んでいます。

野菜も人間も同じでストレスが一番悪いのです。

先日も万願寺、ジャンボししとう、ピーマンの種まきをしました。初夏から出荷できるでしょうか、サツマイモも昨年栽培してものを家の中で育てています、

3月にはハウスで大きく育て苗を採取して植えなおします。

ジャガイモもキタアカリは去年の秋のものを植え付けました。

こうして色んな野菜を出来るだけ翌年に栽培できるようにしています。外来種や遺伝子組み換えは出来るだけ避けたいのです。

遺伝子組み換え野菜は出来るだけ作らないが私の進む野菜作りです。

能登半島地震

元旦に皆さんが正月を楽しんでいる最中、大きな地震が石川県中心に発生。奈良県でも震度4と大変長い横揺れを感じました。

我が家も東京から帰省してくれて家族団らんの最中でした。

突然のアラームどの携帯からもお知らせ、地震が来ると孫たちはホームこたつの中に素早く潜り、時間にして20秒ほどでしょうか、大きな揺れが来ました。それも長い横揺れ、お陰で何もなく済み、テレビで石川県中心の地震と知りました。

徐々に入る情報で被害の大きさを知り、津波の怖さを又見ることになり、やがて輪島の火災、年の初めにこんなことになるとは想像もしていませんでした。

そんな中防災士でもありますので、学校などでは必ず机の中に潜るか、頭にかぶり物をして地震の収まるまで部屋に留まるように教えて来ましたが、これはどうもアラームの前の時代の事で今は少なくとも数秒から数十秒の時間があります。

そこで木造家屋は外に出る時間はあります。けがをしないで落ち着いて外の安全な場所に避難するのが一番と思います。今回のようにみんなが集まるような時はなおさら率先して外にとりあえず出る。

学校などの鉄筋の建物は机の下にいるのが安全かも知れません。子供たち全員で校舎から出るのは時間がありません。

今回の大勢お亡くなりになった中の多くは地震が収まるまでじっとしているべきという案内があるからのようにも思います。

今回の地震の発生地との距離もありますので完ぺきではありませんが、

とにかく木造家屋は外に逃げることが大事かと思いました。

今回の地震で国の指導も変わるのかも知れません。いずれにしても瞬時の判断が生死を分けることだけは間違いありません。

近々、能登に災害ボランティアに行く予定でおります。

石川県災害ボランティアセンターに予約するサイトがあります。

松葉茶を飲んでの経過

 

コロナがはやり接種三回で体調がおかしくなり色々と調べデットクスにありついた。

そんな中クエン酸も毎日飲んではいましたが、松葉茶がデトックスにいいということを知り、試しに飲みだしました。

幸い我が家に植えてあります赤松の葉を乾燥させてそれをお茶として煎じて飲むだけです。

最初は松独特の香りに受け付けない人もいるかも知れませんが、私はむしろ爽やかな松の香りを楽しんでいます。

あれから二年は飲んでいるでしょうか、

それで体に出た変化をお知らせします。

体調は今は大変良いです。

まず最初に驚いたのは中性脂肪が落ちた事です。

その後安定して低いです。肉類は二日に一回は食べています。それでも上がりません。HDLコレステロール値も正常値、LDLコレステロール値も高めから正常範囲、長い間中性脂肪が高いと言われていたのに今は血液検査異常なしという状態です。

多分血管内壁かきれいになっているのでしょう、

松茶の容器がいつまで経っても容器が濁らない不思議に思っていたのは不純物を除去するのが松葉茶なのかも知れません。

人体実験より

 

野菜栽培で感じる人間との関係

 

野菜を長年栽培しておりますと、毎年新しい発見があることも楽しみの一つです。ほとんどの野菜は土が弱アルカリ性を好みます。

葉物野菜は特に謙虚に答えが出ます。

虫が少ない野菜のところは弱アルカリ性の土です。酸性に傾くと何が起こるのか、虫が増え、甘みが落ちる。葉は濃い緑から黄色みが増します。

全体の味も落ちます。

こうして土が酸性化しますと、野菜のうま味も落ちます。ですから土を弱アルカリ性になるように堆肥を多めに入れ、苦土石灰で調整して土を絶えず弱アルカリ性になるように土づくりをしています、

お陰で葉物野菜は色がとっても濃い色になってくれますし、虫も付きにくいので消毒もほとんどしません。

そんなことから人間の体はどうなんだろうと色々と調べると、野菜と同じで酸性化すると病気になることが解りました。つまり体中に行き渡る血液をいかに弱アルカリ性にするか、

だから古くから弁当には梅干しを入れていたんですね。
それ以外にも酢のもの、レモンなどの酸味も血液をきれいにする食べ物てす。

健康な体は弱アルカリ性に保つことが病気を寄せ付けないようです。

それ以外にカリウム、マグネシウムなどの海藻に含まれているものを出来るだけ摂取しております。

健康な体の元は血液を酸性にしないことのようです。

私の野菜作りは食料確保に尽きます。今の世界情勢から食料の奪い合いが始まる時代と見ています。

ちなみに人間の血液のPHは7.4くらいが良いと言われています。

亡き谷村新司さんの余りにも素晴らしい 昴 は鑑真和上の心情を歌にされたのですね、

 

目を閉じて何も見えず

哀しくて目を開ければ

荒野に向かう道より

他に見えるものはなし

 

鑑真和上が唐から大和の国に仏教を広めたい一心で

荒波を受けて帰らない人となるかも知れないが何としても

大和に行きたいという

心情を歌にされ我々の心を震わせた歌になったのですね、

お父さんが御杖村出身ということもあり大和の関心は強かった中での

昴 なんですね、