孫との約束2年ぶりに達成、

孫10歳、とにかく電車が好きです。そろそろ趣味が変わるかと思っていたのに全く変わらず電車に嵌っています。解らないのは遠くで走っている電車の音聞いては楽しんでいます。私には聞こえませんが、解らない世界に嵌っております。確か小学校に入る前からですので良く続いているものです。そんな孫に二年前に連れて行く約束をしていたのですが、この病気でとても行ける状況ではなかったのですが、何とか電車にも少しでしたら乗れるという気持ちになりましたので、約束の列車の旅を実現する事が出来ました当然列車は先頭車両、それも最前列、孫は運転席の横でずっと風景を楽しんでおりました。解らない世界を楽しんでくれました。お陰で連れて行ってもらった感じです。とにかく詳しいのには関心をした一日でした。

大動脈解離A型一年過ぎ気をつけていること

この病気して思ったのは二度と入院生活だけはしたくない、その為にはどんなことでもするという一種の誓いみたいなのが出来ました。その為に何をしたらいいのか、youtubeでも学びました。

その結果凡そのめども付きましたので、それを実行しております。

食と運動に励む後は起こった事にくよくよしない、全て受け入れる。そんな事で試行錯誤で過ごして来ました。

ありがたかったのは前を見て生きる性格がかなり幸いしました。

朝食

ご飯、トマト輪切り半分、納豆、玉ねぎのスライス、レタスかキャベツ、卵、トマトジュース、バナナ、ナッツ、アーモンド、黄な粉大さじ一杯水で溶かし、

これが粗毎朝の食べているものです。カロリーを上げないように量は調整しています。

ドレッシング等は使いません。レモン汁だけです。それと薬です。ロスパスチン2,5ng、アーチスト5mg、エンレスト5omgを朝のみ服用しています。

昼食

大体今まで食べていたようなもので、塩分は控えています。カロリーも控え目にして昼も出来るだけ野菜を食べる生活を続けています。

肉食は本当に減りました。最近反省として少し肉の回数を増やしています。

足の筋肉がまだ戻らないのはタンパク質の不足かもと判断して、量は少しですが。回数が増やしています。

夜食

家族食べているものが基本です。ただ野菜は多いです。量は控え目で、塩分をとにかく減らしています。

特にラーメン等は減りました。それと汁は殆ど飲みません。

外食

かなり減りました。特に今まで行っていた店でもうま味として塩分多かった店は完全に止めました。かなりの店で美味しいと思っていたのは少し塩分を増やすことでうまく感じる、味が濃いと勘違いしていたことも良くわかりました。だからそんな店は行かないです。

味付けしていないものを中心に食べるようにして塩分を減らしています。

この病気して思うのは塩分過多で血圧を上げていることです。知らず知らずの間に塩分の多いものを食べている。それが普通と勘違いしていたことも解りました。血圧は大体120/67脈拍は65位を維持しています。

大事にしていることは、血管はいくらでも柔らかくしなやかになるらしいので、それになるように食事をしている積りです。

動脈硬化、肥満、にはならないような食生活に心がけています。

最近黄な粉がいいという事で水に溶かして飲んでいます。いいというものを実験しております。最近の体の変化は、体温が36.4~36.5と安定してきました。以前は体温が35.8~36と低めでしたが、改善しております。

あと視力で飛蚊症でしたが、これも殆ど消えました。白内障もかなり改善され、見えるようになりました。

このように食べ物がどうも改善したように感じております。

毛細血管がきれいになっているのかもと解釈しており、実験はまだまだ続きます。

 

高野山1200祭での一コマ

高野山を空海が密教の道場を許可されて1200年の年この年は高野山では沢山の行事がありました。

そんな中でもこの年の6月15日は例年の青葉まつりで高野山は大変賑わう日です。2015年の事です。

大師教会では1200年の時を経て初めて比叡山延暦寺から半田座主がお越しになられたという一大行事がありました。

空海が最澄と仲が悪くなりそれ以来絶縁状態、事の初めは遣唐使に同じ時に乗り込んだ二人、最澄は国が認めての派遣、一方空海は一私度僧の立場、それが空海は橿原の久米寺で見つけた大日経の学びをするために遣唐使に乗り込んだ、色々と苦難の末に長安にあります青龍寺で恵果和尚に大日経を学びました。

久米寺で見つけた大日経を日本にいる時から学んでい事もあり、空海は僅か二年で阿闍梨を受けて日本に帰ることが出来ました。これが当時の仏教の中でも最も優れたもとされていただけに、最澄も理趣経をお借りしたいと申し出に断られた。挙句一番弟子を空海の所に学びに行かせたら空海の弟子になってしまい、それ以来最澄は空海と絶縁状態になって1200年、この年丁度高野山1200年祭でした。

この年は大師教会も入りきれないほどの僧の姿でした。

そんな中、比叡山から半田座主がお見えになられ、1200年の蟠りが溶けた瞬間でした。

会場には大きな声で理趣経を唱えられておられていました。

私はそんなことも知らず大師教会で撮影しておりました。

後から一つひとつ繋ぎ合わせますと、そういうことだったのかとなりました。

こんな大きな行事に出会えました事はまず生きている間に無いでしょう。

人間1200年ぶりにとか言うこともまずないと思います。

興味を持つと言うことはこうしたことに繋がります。

歴史もそうですが、初めから全てを知っていることはありませんが、一つひとつ興味を持っていきますとそれが網の目のように繋がり、やがてはもっと複雑な繋がりができます。

仏教もそうでした、初めは本当に何も解らないところから徐々に繋がりが出来、それはそういうことかと知るものです。興味を持つから始まる学び、まだまだ学んでおきたいものです

75歳で見えたこと

 

あれから1年を過ぎ良くここまで生かされたもの

朝目が覚めたら今日も生きている。

それが毎日の始まり、

もう死に対しての恐怖もありません。

ただ今日も生かされた、そんな日々を過ごしいますと

色々と思考が変わりました。

自分のことより家族のため、人様の為にと生きて来ました。

お陰様で生かされていることの重みを味わう日々です。

意識がないままが生かされました。

高野山へ

終戦の15日どうしても高野山にお参りしたく出かけておりました。私事で丁度一年前の事、大動脈解離になり緊急入院そのお礼もあり出かけました。お盆という事もあり山内は大変な人で賑わっておりました。こうして高野山に出向きますと、大勢の人々がお参り、観光も多くまだまだ仏教は大丈夫という気にさせられます。ご先祖を敬い、又亡くなられた方々に手を合わせる行為は日本人として無くてはならないものです。そんな事を確認できた事でも意義があったように思います。

いつも壇上伽藍にお参りします。空海が高野山を開かれた場所にはどうしても訪れたいのです。御社も新しくされている最中でしたが少し覆いも外され、修復もあと少しの所まで来ました。そんな中どうしてもお参りしたい場所があります。殆どの方は知らない場です。蛇腹道に隠れたようにあるのが、智泉大徳廊のお墓です。一年中お花も絶えないお墓です。今日もどなたがお参りされたのか、線香も蠟燭もまだお参りされたばかりの状況でした。

高野山の事を本当にご存じの方が居られるのだと心の中でありがたく感じました。空海の甥で智泉無くして高野山はありえない。そんなことをご存じの方がこうしてお参りされていることを改めて知る時間となりました。

前にも書きましたが、高野山は山の谷間その中でも唯一小高い所が壇上伽藍、それも宮代が一番高く徐々に下がっていく地形で両側には水路を必要とする場です。1200年前空海が訪れた時は小高い山になっていて大木も相当あり茂った場所だったことでしょうか、それを開墾したのは智泉と労務の人たちだったことでしょう、空海は大きな支持をして後は京都東寺で仕事されていたこと、多くを甥の智泉に任す形になったことでしょうか、

高野山の冬の大雪の時に訪れますと、智泉の苦労が本当に味わうことが出来ます。

あの寒い高野山での木の伐採、整地へと励まれた事でしょうか、

御社が出来、御影堂が出来た天長2年2月14日 37歳の若さでこの世を去られました。本当に空海の手足となり動かれた事でしょうか、一番弟子と称された智泉の余りにも早い死に空海は大層悲しまれたということです。

このお堂には空海自ら作られた五輪塔も納められております。

空海は後に阿字の子が 阿字の古里立ち出て また立ち返る 阿字の古里とい

 

う一首詠まれています。

 

大動脈解離A型退院後の生活 明日で一年になります

 

早いもので一年になりました。先日孫がICUの映像を見ておじいちゃんもう一年やね、あの病院の先生が言っていたよ、80%あかん言っていた、入院しての詳しい事色々と話をてくれました。

本人は意識が朝の10時半ころから消えて何も解らないので、救急車呼んだことも、ドクターヘリに乗ったことも全く知らないので、家族親戚が駆け付けたことも何も知らないままでした。孫には余りにも大きな出来事で、脳裏から消えないようです。10歳の子供にこんな世界を見せて大丈夫なのか心配はしております。畑で作業していても気になるのか、お茶を持って来てくれたり、覗きに来てくれたりもしてくれていました。やはり極端なショックを与えただけに何も無いことを願っています。

テレビで病室や医者の映像にはかなり反応します。申し訳無いことをしたものです。

ICUで麻酔から覚めるまでの出来事は一切知らないままです。目が覚めてまず目に入ったのは見たことのない数の点滴、口には酸素、看護師さんたちが動いている。何が起こっていたのか全く解らないままでした。

息子が大動脈の本を持ってきてくれて初めて知りました。それから徐々に情報を収集で何となく大変なことになったと感じたものです。

あの当時の姿を見て、よくここまで回復したものです。奇跡的な回復です。そうとしか考えられない現在です。あれほどの状況から今日に至るまで本当に大変な日々でしたが、凡そ回復しましただけに神がかりに一年でした。

毎日その日だけの事しか考えない日が今日まで続きました。とても明日の計画など考える事はありませんでした。

朝目が開いたら生きているから始まり、何とか回復出来るような生活を続ける事に精一杯でした。

ここ一年になり、少しは先の事も多少考えることも出来るのですが、実行出来るかは定かではありません。でも本当にここまで来れ、あらゆるものに感謝の毎日です。そんな中、友人、知人、当然家族にもうこんな心配だけは掛けない生活をしようと努力の毎日です。

私はどちらかといえば信じる、信じないには余り関心はありませんが、

先祖だけはお墓参りしたり、それぞれの実家などに出向くようにしています。

それは私の生は  お爺さん、おばあさん、父親、母親が居てくれたから私が存在しているという考えはかなり早い時からあります。  今年もお盆に入る前にすでに墓参り、それぞれの実家にお邪魔して何とか大病をしましたが、ここまで元気になりました、色々と心配掛けましたと挨拶に行きました。当然家内の実家にも行き、お墓参り、仏壇にも手を合わせます。

こうして先祖供養は私なりに済ませます。

いつも思いますが、すっとして過ごせますのでこれは欠かせません。

こうしてご縁を大事にし、お墓もお参りしています。

昨今墓じまいやお葬式を簡単にという考えにはどうも体がついて行きません。

この年になりますと自分のルーツはどうなっているのか気になるものです。

ありがたい事に先祖を頼っていきますと江戸時代前から続いているとか、

幸い郷土史などにも関心がありましたので、先祖がどんな暮らしをしていたのか、色々と知りました。

私は墓も大事、仏壇も大事、特に自分という存在はどうして出来たのか、

先祖はどれだけ苦労したのかという事だけでも知っておきたいという思いがあります。

釈迦仏教から大乗仏教に後に葬式仏教と言われ葬式するのが仏教となる現在、本来お釈迦様はそれぞれの生き方を解かれましたが、長い年月で変遷、仏教にありがたみを感じない現在、もう少しご縁として原始仏教を学ぶのもいいのでは無いかと感じております。日本に入りまして1200年以上になりますが、どの人もDNAとして組み込まれて生きています。それが最近欧米並みに先祖を必要としない力が働いて仕向けられているように見えるのです。

本当に日本の歴史を壊していいのでしょうか、

熊本地震

2026年7月28日 16時27分 震度7という大きな地震が発生し被災されました人々にお見舞い申し上げます。

あれ以来、何とか災害ボランティアに行きたいけど、これだけ大きな手術で何とか生かせてもらっている身だけに躊躇しております。

本来でしたらもう動いているのですが、今回はテレビ等で情報を見て心苦しい状況です。10年前に続いて二度目その大変さは計り知れないものを抱えられていることでしょう。

体調はかなり良くはなっていますが、胸骨切断し人工血管に変えてもらいもう少し体調管理する身です。心苦しいのですが、今回は自分の体調を優先させて下さい。防災士として全国の被災地に出向く生活を続けていましたが、何とか元の体に戻しもう少し働かせてほしいとの思いで日々健康な体を取り戻すため務めております。

毎日が試行錯誤の日々です。しかし、いい医者のお陰であと少しの所まで来ました。8月15日は終戦の日ですが、私にとって死と生の堺の日でもあります。

 

大動脈解離A型退院後の生活もうすぐ一年 記録について

 

私の場合PCが好きでもう40年ほど触っています。当時日本橋で買ったのですが、この地域でPCなど見たことも触ったことも無いという時代でしたので誰に聞くことも出来ず自分で分厚い本を頼りに動かしたものです。それからかなりしてからワープロが出来、周りでワープロを打つようになりました。

そんな事でPCは私の生活の一部にどっぷりと浸かっています。

今回もこの病気になりましてデーターがあれば多少は助かるかもと思い、毎食の食べたもの、カロリーを打ち込んでいます。そうすると不思議なことに食べ過ぎや、安易に食べることが無くなり、塩分の高いものも減り、甘い菓子類も減らしたりしてかなり自分の中では健康管理出来ているのかもとおもう日々です。

当然血圧も記録し、歩数、体温、あとは時計のデーター、血中酸素、心機能、等記録しております。こちらは先生に毎月診てもらっています。もう11カ月続いていますので、多少自分の戒めとして塩分過多にならない食事、腹八分目を脳が勝手に意識してしているようです。

それがいずれ脳梗塞、心筋梗塞を防いでくれるのではと思いながら生活しております。慣れとは恐ろしいものです。

大動脈解離A型退院後の生活もうすぐ一年 食生活は

 

あの大変過ぎる手術からまもなく一年を迎えるのですが、正直良くここまで生きて来れたと思う日々を過ごしています。ICUにいた時の風景はドラマの世界とは全く違い、あれだけ多くの点滴を見たのは初めてでその風景からも生きているのが不思議なくらいでした。皆さんのお陰で生かされたと思いが強いです。

そんなこともあり元の体に何とか戻れないかというのが毎日のことでした。

大動脈解離という言葉も初めて、症状や治療の事も一切情報がありませんでした。入院中も携帯で調べ息子が持ってきてくれた大動脈の本で少し情報を得て何となく今の私の状態はどういうことか、やっと少しだけ理解をしたようなものです。退院後はyoutubeで本当調べました。

大勢の先生方の投稿でかなり知識は得ましたが、実践する以外に道はなし、

それで食べ物から完全に見直しました。

朝はまず体温測定、血圧測定、そのあと無塩のトマトジュース、

朝食はご飯少し、トマト、玉ねぎのスライス、納豆、卵、が毎朝です。

玉ねぎはレモン汁100%のもの、お陰でドレッシングはまず使いません。

その後ナッツ、アーモンド、バナナ半分、これが朝の食べ物です。

昼は凡そ皆と同じもので量が少ないです。大体500カロリーになるような食べ方をしています。

夜も家族と同じもので塩分少なく、量も控え目で500カロリー位になるようにして食べています。

体重は入院前68キロから入院中に58キロまで落ちて退院後一時64キロまで戻ったのですが、今は62,5キロ位で落ち着いています。

先日も血液検査でBNPが正常数値で悪玉コレステロールが正常値、善玉コレステロールも正常値、少し低いくらいでこれをもう少し上げたいのです。

中性脂肪は少し高め、そんな結果が出ました。

心配していました心臓の状態はまずまずの状態なので少し安心はしております。

何とか心臓に負担を掛けないで血管の流れを良くしたい。そんな気持ちで生活しております。

高血圧にならない食べ物と合わせて血管をきれいにしてくれる食べ物を中心の食生活です。外食が極端に減りました。原因は今まで美味しかった店も実は塩分が多くそれがうま味として感じていたようです。だから食べに行っても辛いのが今の状態です。相当塩分に対しては敏感になっているようです。

こうして試行錯誤の毎日を過ごしております。

同じ病気で悩まれている方に少しでも参考になればありがたいのですが、