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私の目標は、 子供がいなくても幸せラブラブという境地になることです。

潜在意識にアプローチし、今までの価値観を変えたいと思い、2017年2月より瞑想をはじめました。

私がしている瞑想は、北山裕子さんのブログ「前向き気づき日記」を参考にしています。

心を開く練習をしています音譜

 

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東京新聞2017年4月16日 5面の記事からの一部抜粋です。

 

「○活」の孤独

 関西学院大学准教授 貴戸理恵

 

 就職は、もはやほっておいては自然に達成されないゴールだ。だから学生たちは、努力と情報収集で不確実な世界を泳ぎ切ろうとする。

 就職だけではない。「○活」と言われるものにはそういう側面がある。婚活(結婚)、妊活(妊娠)、保活(保育)、終活(葬儀・墓)。これらは、「フツーに生きていればいつの間にかそうなる」ものではなくなっている。私たちは、その一つ一つに対して、自分のニーズを明確にし、計画を立て、努力するよう迫られている。そしてうまく行かなくても、自ら招いた結果に耐えるべきだと思わされている。

 これは、何と孤独で不自然な営みだろう。どの仕事が自分に合っているか、どんな結婚が幸せか、何歳で何人子どもを持ちたいか。これらのことを一人で事前に決めるなんてできるだろうか。まして、自分がどのような人間であるかなど、明確に言葉にできるものだろうか。そこでは、曖昧で矛盾した、生身の存在としての「人間くささ」は顧みられない。

 「○活」で成功するには、自分のニーズや目的を確固たるものとして自分のなかに思い描き続けなくてはならず、多かれ少なかれ負担が大きい。またそもそも「○活」の対象は、仕事やパートナーとの出会い、出産や死など、本来決して個人が選ぶことができないものだ。

 

 つくづく、「生きていくのは苦しいなぁ。」と思ってしまう。

 私は、就活も婚活も妊活もしたけれど、どれも苦しかった。一応、就職はできたけれど自慢できるほどの仕事でもないし、結婚もできたけど夫は取り立ててすごい人でもない。そして、妊活しても、子供は授からなかった。

 

 たまに育児ブログを読むと、「子育て」というものを経験できなかったことが悔しくて、たまらなく悲しくなってしまう。「子供を育てること以上に素晴らしいことはない」というような話を読むと、心にナイフが突き刺さったようで、ひどく落ち込んでしまう。

 

 すべてを受け入れようと思ってはいるけれど、まだまだ私は自分にOKを出すことができない。自分の努力が足りない、能力がない、とダメ出しばかり。気が付くと、「なんてダメ人間なんだろう。」とつぶやいている。

 

 でも、ふと思う。

 果たして、一流企業に勤めることができて、一流企業に勤める夫がいて、優秀な子供が二人ぐらいいて、思う通りの生活ができたら、幸せだったんだろうか。

 

 こう考えてみよう。

 

 思うようになるだけの人生は、案外つまらないのかもしれない。

 私の魂は、この悲しみを経験する必要があったのかもしれない。

 そして、ひょっとすると、この先思いもよらなかった素晴らしい展開があるかもしれない。

 

 だから、

 

 今の自分を大切にしよう。

 「よく頑張ったね。」と声をかけてあげよう。

 自分のまわりのすべてに感謝しよう。

 これでいいんだよ、きっと。

 

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